5月16日(金)に大分県大分市でNZU(ニュージーランド学生代表)と対戦したU20日本代表。
80分間の激闘の末、52-45でみごと勝利を掴み獲った。
ワールドラグビーが主催する国際大会への参加がなくなった今年、これが唯一の試合となった2025年度のU20日本代表活動。
選ばれた選手たちの、想いを届けよう。
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LO加賀谷太惟
45-45の同点で迎えた後半38分。
逆転トライを決めたのは、4番・加賀谷太惟選手(立命館大学1年)だった。
U19日本代表としてアジアラグビーU19チャンピオンシップを戦ったのは昨年12月のこと。
その時は95kg。わずか半年で10kgほど増量し、現在多い時で105㎏を記録する。
「自分の身長(188㎝)で95㎏じゃ、全然足りない。大学に入ってすぐのコンタクト練習で、4回生に普通にひっくり返されてしまって・・・『このままじゃ戦えない』って思ったんです」
大学レベルで戦う体を作るため、食べて、鍛えて、眠って、また食べて。110kgを目指し、体づくりと向き合った。
「食べれば大きくなるタイプなので、やればやるだけ成果が出ました」と笑った。
だがその一方で、フィットネスは100kg越えの体に追いついていないと認識する。「この試合でも特に前半、仲間に迷惑をかけてしまった」と明かした。
それでも値千金のラストトライ。「火事場の馬鹿力です」と笑えば、仲間に感謝した。
「同じ大学の高橋凜乃介くん(1番)や、同じポジションの(園田)虎之介くんが声を掛けてくれました。それで自分の中でスイッチを入れることができて、後半は良い感じに動けました」
ラインアウトではジャンパーとして飛び、モールの核となった。崩れた後はボールを再びもらうため場所を移したのち、トライゾーンに飛び込む。
「嬉しかったです」
控えめに笑った。
かねてより高いレベルでプレーすることに、喜びを抱く加賀谷選手。
U20日本代表の場でも「上のレベル」のテンポに、コンタクトの強さ。そしてスピード。
「自分の中で、まだ高校生レベルを抜け切れていないところがありました。でもそういう所を先輩方から教えて頂いて、めちゃくちゃ成長した合宿でした」
そしてそれを「楽しい」と思えた日々。U20日本代表活動は「めちゃくちゃ楽しかったです」と目尻を下げた。
桜街道を歩み出した加賀谷選手。
「もちろん」日本代表を目指したいと断言する。
「今のままでは、全然足りない。ここからは、フル代表を目指してフィジカルを強化します」
フィールドの中心で確かな存在感を放ったラグビー歴3年のロックは、ひたむきな笑顔で、未来をまっすぐに見つめた。
FL松﨑天晴
U20日本代表として臨んだNZUとの一戦。試合後、青山学院大学2年の松﨑選手は自信をもって言った。
「勝つ準備をしてきた。だから、勝てると思っていました」
言葉に驕りはなかった。
「短い時間に積み上げてきたものを全部出して、勝てました。本当にみんな頑張ったと思います」
高校3年時には、高校日本代表としてU19イタリア代表と対戦した経験を持つ。
その後、体重は10㎏増加。まっすぐな努力の延長線上に、今回の代表入りはあった。
「普段やっていることが、U20日本代表入りという結果として表れて嬉しい」と喜ぶ。
今チームにおいては『ブレイクダウンリーダー』を任され、チームで最もブレイクダウンにこだわる男としての務めも果たした。
身長や体格で勝てない相手に、自らが持ちうる武器は「低さ」と「速さ」。それを誰よりも研ぎ澄ました一戦。
「速く、低く入る。そこでボールに絡む。それが自分の持ち味です」
通用した場面は多くあったが、パワーで弾き返される場面もあったことに「まだまだです」と口にした。
点を線でつないでいる、日本代表街道。松﨑選手は、最後にはっきりと宣言した。
「日本代表になりたい。小さくてもやれるんだってことを、証明したい」
その目に、次のステージへの強い光を宿した。
トライを取れば、何度も仲間へ手を差し伸べた。「自分だけのトライじゃない。みんなで取ったトライだから『ナイス』という気持ちだけです」
SO丹羽雄丸
「高校日本代表としてU19イングランドに負けている。だから絶対に勝ちたかったです」
飛び級でU20日本代表に選ばれた同志社大学1年生のゲームメーカー・丹羽選手は、秘めた闘志を口にした。
「(今年の3月に)イギリス遠征を終え日本に帰ってきてからも、負けた事実がつきまとって・・・。最後、自分が(トライを狙って裏へ短く)蹴ったことで、高校日本代表としての試合は終わりました。大学に入学した今でも、ずっとその後悔が自分の中に残っています」
だからこそ、U20日本代表として戦ったこの試合は特別だった。
勝利を手にした結果も、自らのキックやゲームメイクも。ようやく“次のステップ”へと気持ちを向かわせてくれるものになったと喜ぶ。
「この勝利はチーム全体のもの。これをどう、自分のキャリアの中に生かしていけるかが重要になると思います」
10番としてフィールドに立ち、先輩たちとともに戦った80分間。
フル出場だったが、難しさは「特になかった」と笑顔を見せる。
「先輩たちが優しくて、“自分が仕切っていい”という形をつくってくれました。12番の(神)拓実くん、13番の(佐藤)楓斗くん。スクラムハーフの (三田村)喜斗くんたちみんなが『僕が引っ張っていい』という雰囲気を作ってくれたから、自分はスタンドオフとしてゲーム運びを考えることに集中できました」
2つ目の桜のエンブレムを身に着けた5日間に、感謝した。
「ずっと楽しかったです。練習も、試合も、雰囲気も。このチームが好きでした」
一時は14点差をつけられた場面もあったが「高校時代に(桐蔭学園高校の)藤原先生に”切り替えろ”って言われてたので。スタンドオフは切り替えが大事。高校の3年間が生きました」
来年には、20歳以下の各国代表を対象とした新しい大会が創設される見込みだ。その舞台に向け、丹羽選手はすでに動き出す。
「フィジカルが課題です。フィジカルを強化して、来年のU20日本代表活動にもどんどん参加していきたいです」
前だけを見つめる10番。その目に、もう迷いはなかった。
FB古賀龍人
何度もラインブレイク。この試合最多のゲインメーターを稼いだことは、間違いないだろう。
明治大学1年の古賀選手は、フルバックとして記憶に残るプレーを繰り出した。
しかし試合後の古賀選手は、どこか表情を曇らせたまま。
「全然、自分に良い点数をつけられないです」
もちろん強みを出せた場面はあったが、それ以上に自身のミスのほうが記憶に残った。
特に印象的だったのは、ペナルティを取られた場面だ。
ボールキャリー後、一度倒れたあとすぐに立ち上がり再びボールを前に運ぼうとした。しかしその判断が、結果としてチームのリズムを崩すことにつながった。
「チームとしてやりたいことがあった。だからあそこは我慢して、ラックを作って安全に出せば良かった」と振り返る。
その胸につけた、桜のエンブレム。
5日という短い時間、しかも初めて組むメンバーばかりの中で、ひとつの判断が大きな意味を持つことを知った5月の終わり。
また一つ、確かな成長を遂げた。
SH荒木奨陽
「U20日本代表活動に呼ばれたときは、とても驚きました」
高校日本代表のジャージーを着る前に与えられた、U20日本代表のジャージーだった。
中部大学春日丘高校3年生の荒木選手は、”2階級”もの飛び級でメンバー入りを果たした。
4月に入ると、高校のグラウンドを訪れたのは大久保直弥U20日本代表ヘッドコーチ。
「大久保さんが、直接ハルヒのグラウンドに来てくださって。『行くか?』って言われて。『行きます』と即答しました」
それからの1か月間は、課題だったパススキルの向上に取り組んだ。
「自分、パスが苦手で。だからこの1か月間、たくさん練習しました。今日のパスは、良かったと思います」
後半19分に出場すると、日本に4トライをもたらす。その球捌きに、自信を得た。
「いつも通りにプレーしようと思って。変に気負わず、落ち着いてプレーしました」
後半38分の逆転サヨナラトライも、落ち着いてFWを動かした結果だった。
年上の選手たちと過ごした5日間。
「先輩たちがいっぱい声かけてくれて、すごくやりやすい環境でした。U20日本代表として戦えたことは光栄。ここで調子に乗らず、次の高校日本代表を目指していきたいと思います」
まずは高校日本代表として、しっかり結果を出すこと。そして、いずれは日本代表に。
「ラグビーが好きになりました。成長できた5日間でした」
確かな手応えを胸に、帰路についた。