192㎝、102㎏。
LO栗原大地選手(東洋大学4年)は、笑顔でグラウンドに立った。
5月20日(火)に大分県別府市でNZU(ニュージーランド学生代表)と対戦したJAPAN XV。
背番号19を与えられた栗原選手がピッチに立ったのは、後半10分のことだった。
それから試合終了の笛が鳴るまでの30分間、栗原選手は多くの時間で柔らかい笑顔を浮かべる。
しかし聞けば、自らの意志で笑顔を作っていたわけではないという。あくまでも、ナチュラルに。全く意識することなく、自然に口角を上げていたそうだ。
所属する東洋大学で「良い顔でプレーするように」との教えがあるのだと「おそらく」の理由を教えてくれた。
栗原選手がラグビーを始めたのは、高校生になってから。曰く「全国大会の地区予選では、早々に敗退するような高校」が原点だった。
それでもひたむきなプレー姿勢が評価され、現在関東大学リーグ戦1部に所属する東洋大学から「やってみないか」と声が掛かる。最初は、何度も断ったという。
「ラグビーを続けるつもりなんて、全然ありませんでした」と笑った。
ついに福永昇三・東洋大学監督の熱意に根負けし、大学でも楕円球を握ることにしたが、順風満帆な大学生活を送っているわけではない。何度もラグビーから離れようとしたこともあった。
ただ、その度にラグビーに引き戻される。
そして、その先に待っていたのが“桜”が胸についたジャージー。
「続けてよかった。そう思えた日でした」
4月にはU23日本代表としてオーストラリア遠征へと出向いた。
だが「試合には出られませんでした。正直、自分のレベルが足りなかっただけ。怪我でも何でもありません」
出られなかった理由を、真っ直ぐに受け止めた。
その分、JAPAN XVで出られるとわかった瞬間に「教えてもらったことを頑張ろう」と一層の気持ちが湧いてきたという。
誠実に与えられた役割と向き合えば、初めて桜のエンブレムを胸につけた一戦で、初めてのラインアウトコーラーも任された。
前半には、インゴールでウォーミングアップをする栗原選手をニール・ハットリー アシスタントコーチが何度も呼び止め、互いにたどたどしい英語と日本語でサインの確認をしていた姿が印象的だった。
ひたむきに、誠実に。
桜を胸にする責任を全うした。
櫓(やぐら)の上で試合を見守るハットリーコーチと言葉を交わす栗原選手
最初から道が拓かれていたわけではない。
雑草生い茂る砂利道を、ひたすらに進んだこと。
その姿を見てくれる人がいたこと。
だからこそ今の自分の姿を、かつての仲間や高校の後輩たちに自信をもって見せたい。
「頑張っていれば、誰かが見てくれているんだな、って」
高校時代、あの日のグラウンドで彼を支えていたかつての仲間たちへ。
今、同じようにラグビーを頑張っている後輩たちへ。
あの日、断ろうとしていた“その先の景色”は、こんなにもまぶしかった。