同点、同得失点差。東福岡と茗溪学園の戦いは、トライ数差の決着|第10回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会

第2試合 四日市工業×東福岡

直接対決が同点で終わったため、カップトーナメント進出は、四日市工業戦の結果に持ち越された。

先に戦うは東福岡。

激闘から僅か1時間後に迎えたキックオフ。

東福岡は、前半から攻め立てた。

できる限りのトライ、できうる限りの得点を決め、茗溪学園にプレッシャーを掛けたい。

強みは、昨年同様ブレイクダウンの強さとキックオフだ。

前半4トライを奪った後半、コンバージョンゴールを蹴ったのは、神キャプテンと1番・沢田海盛選手の2人。

神キャプテンが遠くにいる時には「FWで一番器用で上手い」という、15人制ではプロップを務める沢田選手が蹴り込んだ。

1秒も無駄にしない戦いで、東福岡は後半にも4トライを重ね、計7つのコンバージョンゴールも成功させれば、四日市工業をノートライに抑え切った。

54-0。

「点数取らないといけない状況。みんなしんどかったと思いますが、最後まで走り切ってくれて、無失点で抑えてくれた。やり切ってくれました。あとは茗溪さんの結果を待つだけです。(隅田誠太郎選手)」

茗溪学園の試合を、全員で見守った。

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第3試合 茗溪学園×四日市工業

茗溪学園が得失点差+55点以上で、53点以下であれば東福岡がカップトーナメント進出を決める一戦。

こちらも、序盤から茗溪学園が猛攻を仕掛ける。

5番・田村優太郎選手、6番・林勇太選手、8番・岡本泰一選手がそれぞれ2トライずつ決めきり、前半だけで計7トライ。47-0で後半を迎えた。

ハーフタイム、円陣を解いた森尾キャプテンは、ベンチに確認する。

「あと一つで8トライ?」

55点差以上での勝利はもちろんのこと、万が一同点だった場合には、総トライ数で順位が決まる。

東福岡は、四日市工業戦で8トライの54得点。

茗溪学園は、万が一得失点差が54点になった時のことを考慮すると、9トライ以上を取っておきたい。

後半は、開始30秒でまず1本決めきった茗溪学園。

しかしコンバージョンゴールは外れ、52-0。緊迫感は続く。

対する四日市工業は、なんとか1トライを取ろうと必死に攻撃を仕掛け、後半2分、松尾亮汰選手がトライを取り切った。

しかしコンバージョンゴールは外れ、52-5。

ここで茗溪学園の得失点差は+47となった。

「絶対にセブンズ優勝」と意気込み始動した、今年の茗溪学園。

このままではカップトーナメント進出を逃す茗溪学園は、強い想いを原動力に2トライ連続で取り切る。

うち1つはコンバージョンゴールを外し、64-5。

59点差をつけた。

しかし、試合終了間際に四日市工業・上村純大選手がステップを切り走りきると、インゴール右隅にトライ。

右隅でのトライだったこともあり残念ながらコンバージョンゴールは外れると、ノーサイド。

64-10。

総得失点差は、なんと東福岡と同じ+54点。

だが奪った総トライ数が東福岡は11、茗溪学園が13。

以上の結果により、茗溪学園が東福岡を破って最上位トーナメントとなるカップトーナメント進出を決めた。

だが、試合直後の選手たちは、喜ぶでもなく淡々と引き上げる。

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得失点差が東福岡と同じく54点だということまでは把握していた。

だが、どちらがカップトーナメントへの挑戦権を獲得するかまでは分からないまま。

だから茗溪学園の選手たちはみな、言葉を発せず状況を見守った。

本部に確認をしに行った芥川監督が戻ると、恐る恐る声を掛けたのは森尾キャプテン。

そして、芥川監督は笑顔で返す。

「トライ数で、うちの勝ちや!」

その瞬間、喜びの声をあげた茗溪学園の選手たち。

笑顔で、抱き合った。

「優勝するための第一関門を突破しました」と破顔したのは、1年次から同大会に出場している森尾キャプテン。

「去年・一昨年は、僕1人が頑張ろうとしてしまっていました。だけど今年は、みんなエグイ。信頼して、任せられるようになったことが大きい」と勝因を語る。

チームの総合力で、掴み取った1位通過だった。


「東福岡さんが最初に試合をして、それを見てから僕たちは試合ができた。モチベーションができたことが僕たちにとっては好材料でした。(芥川監督)」54点、8トライという明確な目標を手にできたことが、茗溪学園にとってプラスに作用した

大会2日目は、鬼門の準決勝進出を懸けた2試合が行われる。

「チャンピオンシップなので、もちろん相手も本気で来る。だから僕たちも本気でぶつかりに行って、テッペン取りに行くつもりで挑みます。(森尾キャプテン)」

激闘の大会1日目を終えた今、改めて優勝を目標に掲げた。

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***

この日3トライを決めたのは、3年生の田村優太郎選手。

転勤族であるご両親の下、タイで生まれ、小学3年~5年生までの3年間を福岡で過ごした。

ラグビーを始めたのも、ちょうどその頃。鞘ヶ谷ラグビースクールで楕円球に親しむと、続く引っ越し先・シンガポールでも続けた。

日本に帰ってくると、ラグビーを落ち着いて続けられる学校に、と寮生活が送れる茗溪中学へ編入。

現在は茗溪学園で腰を据え、毎日ラグビーに勤しむ。

「去年・一昨年とお世話になった先輩たち、応援してくれるサポートメンバーのためにも、何が何でもという思いで頑張りました。」

言葉通り、ブレイクダウン周辺でのハードワークが光った。

「明日もサポートプレーとディフェンスに徹して、ハードワークする中でチャンスメイクしたいです。」

茗溪らしさを体現しながら、仲間とともに頂点を目指す。

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