新人早稲田
センスとハートのスタンドオフ
身長174㎝ながら跳躍力とコース選択を武器に、なんども競り勝った
コリジョンを制した両フランカー
6番・久我真之介選手(早稲田実業出身)に、7番・牧錬太郎選手(桐蔭学園出身)。
全く異なる経歴を歩んできた両フランカーが、コリジョンを制した。
6番・久我選手にとって、『ラグビー部』に入部するのはこれが初めてだ。
小学生の頃は柔道に打ち込んだ。一緒の道場に通っていたのは、現在のチームメイト・田中健想選手(桐蔭学園出身)。
「中学生になったら、一緒にラグビーをやらないか?」と誘いを受け、中学の3年間はワセダクラブ・ラグビースクールでプレーしたが、高校では柔道に戻る。高校3年の12月まで、ふたたび道着を着た。
柔道部を引退した、昨年12月のこと。
ラグビーを諦めきれなかった久我選手は、早稲田実業ラグビー部の練習に加わった。
大学ではラグビーがしたい、と卒業までの3か月間、下級生に混ざって楕円球を握る。年末の花園では、他の部員とともにスタンドから応援をしたという。
現在つけるヘッドキャップは、早稲田実業のもの。高校卒業時に贈られたもの
やっぱりワセダでラグビーがしたい、と「戻ってきた」久我選手。
大田尾監督からは「スキルを4年間で身に着けていこう」とエールを送られた。
まだまだスキルが足りない分、いまの自分にできることは「接点でブチ当たること」とひたすらにタックルへ入る日々。
この日も幾度となくタックルに顔を出し、体を当てることを恐れない姿をいかんなく見せつけた。
右が久我選手。左は早実ラグビー部キャプテンだった多田陽道選手
「(久我選手からは)3年のブランクを感じない」と話したのは、ワセダクラブ・ラグビースクール時代に4番・5番でコンビを組んでいた龍康之助選手(早大学院出身)。
「要所要所で、柔道をやってきたことを感じます。誰よりも体が強く、柔道がラグビーに活かせている」と笑顔を見せる。
久我選手自身も「高校3年間はラグビーしていませんでしたが、ワセクラの仲間がいっぱいいます。絆は深いです」と、ラグビー蹴球部での充実した日々をうかがわせた。
そんな久我選手の相棒を務めたもう一人のフランカーは、昨季の花園優勝校・桐蔭学園出身の牧選手。
花園では3回戦で先発出場したが、決勝戦での出場機会はなかった。
この日、グラウンド上で最も存在感を放った選手のうちの1人であっただろう。
牧選手は「環境が変わったこと」を成長の一つに挙げた。
「桐蔭学園高校時代、フランカーはあまりボールを持ちませんでした。でもワセダでは、ボールを持ちたい人が持つ。自由に前に出るラグビーをやらせてもらっています」
ボールキャリーはもちろんのこと、ボールを持っていない時の働きぶりも圧巻だったが「それは桐蔭学園で培われたもの」と笑った。
「誰をノミネートするかを意識し、ノミネートミスを減らすこと。タックルの仕方、ボールの持ち方を久我選手と合わせて挑んだ」と準備を語る
背番号7。ハードワークしなければいけないポジションにあって「出場した70分間、ハードワークを徹底できた」と牧選手は話すが、課題は体力だ。
途中で足がつり交替となったため「80分間走る体力をつけたい」と言った。
「自分ができることを決め、その中でどれぐらい良いパフォーマンスが出来るか、を考えています。他人と比べないこと。どこを伸ばしたらチームに貢献できるか、を考えています」
目指すはイングランド代表のサム・アンダーヒル。「タックルに憧れています」
牧選手は言う。
「今年の1年生には、勢いがある」
下のグレードではあるが、1年生対上級生の練習でも、1年生が勝る部分があるのだそうだ。
「1年生たちは自信を持っていますし『上のチームに上がってやるぞ』と気合いが入っています。競争環境がとても厳しいです」
競争を勝ち抜く、その覚悟を結果で示した一戦となった。
2浪のちワセダ
「ワセダでラグビーがしたい」と、高校卒業後2年間を費やした選手がいる。
15番・植木太一選手。
関東学院六浦高校を2022年3月に卒業すると、2年間の浪人生活を送った。
この日自身が決めた2トライは、いずれもその走力を活かしたもの。
ディフェンスにも体を張り、バックスリーとしての務めを果たした。
2年のブランクがあったとは思えないそのキレは、勉強の合間のジム通いで培う。ウエイトトレーニングを続けながら、勉強に励んだ。
「今日はスピードを活かせたことに満足しています。でも、最後足をつってしまったことは課題。アカクロを着るために毎日トレーニングに励み、下から押し上げられるように頑張りたい」と早稲田での4年間に誓った。
大田尾竜彦監督コメント
やれることをしっかりやること。戦い続けること。横と繋がり続けること。
この3点を伝えて選手たちを送り出しました。
今日はそれをやってくれたかな、と思います。みんながまとまって、チームとして成り立っていました。
――クールダウンの時に、試合に出場しなかったメンバーたちの練習をずっとそばで見守っていらっしゃいました
勝負ごとなので、勝たなければいけません。メンバー選考をして、今日、自分たちのカテゴリーで出られなかった選手たちに対しての敬意です。
彼らは頑張っているけれども、届かなかった。だから最後に声を掛けるのは、僕たちのやるべきことです。