1月
3回戦・山梨学院戦では46-0の完封勝利を収め、弾みをつけた桐蔭学園。
準々決勝の組み合わせ抽選では、申キャプテンが最後に残ったくじを引いた。
右手で引いたボールに書かれていた数字は6。大阪桐蔭との対戦が決まれば、会場は大きなどよめきに包まれた。
準々決勝にして、早くもやってきた大一番。
前半5分で2トライを大阪桐蔭に先行される、苦しい出足だった。
しかしその後4トライを奪い返す地力を見せれば、今季初めて、大阪桐蔭から勝利を掴み獲る。
申キャプテンは言った。
「前半は苦しい中でも相手のやり方をしっかりと観察し、その上で後半に追い上げるプラン。藤原先生は『花園は後半の風上勝負』だとおっしゃっています」
前半あえて風下となるエリアを選び、相手の出方を観察・分析した後、抜群の修正力を生かして後半の30分を戦う。
どうやったら花園で勝てるのか、をチームとして蓄積し続けた桐蔭学園としての結論が、この大会いくつもの逆転劇を生んだ。
準々決勝・大阪桐蔭戦、26-14。
準決勝・國學院栃木戦、25-14。
決勝・東海大大阪仰星戦、40-17。
計300分間の戦いを終えた申キャプテンは、堪らず表情をゆがませた。
1年前。
第103回大会で優勝した後は「よっしゃー!」と何度も叫びながら満面の笑みでインタビューエリアへと入ってきた、当時2年生の申選手。
だが今年、第104回大会後のインタビュー時では対照的に、終始落ち着いた表情で何人もの記者と向き合った。
「嬉しさもありましたが、本当にホッとしたというか。『よかった・・・』と。色々と言われていましたが『自分たちの代が一番強くて、59期は良い代なんだ』と証明したいという気持ちが僕にはずっとあって。最後、勝った瞬間に肩の荷が下りたじゃないですけど、閉会式の時には安心しました。『あぁ、よかった』という気持ちでした」
連覇を託された主将。
「入学した時からこいつがキャプテンになるだろうな、と思っていた」と藤原監督に言わしめた主将。
東京朝鮮中高級学校中級部から、花園で優勝するために桐蔭学園へと進学した主将。
申驥世・第59期キャプテンの下、桐蔭学園は5度目の優勝を果たした。
律
振り返れば、今季すべての全国大会で、最も苦しい山組みに入ったのが桐蔭学園だった。
春の全国選抜大会では初戦が長崎北陽台戦。2回戦は東海大大阪仰星とのゲームから始まった。
夏のセブンズでは『死の組』とも呼ばれた東福岡・京都工学院との予選プールを勝ち上がり、今季初タイトル。
そして冬の花園では、初戦で流経大柏と相まみえる。言うまでもないが、今季無敗の大阪桐蔭に初めて黒星を与えたのもまた、桐蔭学園であった。
いかだを作るところから始まった、非常に厳しい出航。
流した涙も、悔しさを味わった数々の敗戦も、そして仲間との衝突も。
春にも夏にもどん底の景色を味わい、それでも信じて作り上げた戦闘船59期号。
シーズン当初の不安定さは徐々に姿を消し、花園では抜群の安定感を誇った。決勝戦こそ反則数は6を数えたものの、準決勝は3、そして準々決勝ではわずか2というペナルティ数の少なさも、このチームを支えた。
荒波に耐え、瞬発力で勝負する決断を下し、自らを律することで手にした大優勝旗。
たどり着いた、花園2連覇。
いや、『今季2冠』という表現の方が、このチームには相応しいだろう。