&rugbyが2024年度に高校ラグビーを取材した試合は、ゆうに100試合を超える。
書けなかったシーンがいくつもある。
これまで言葉にすることのできなかった、光景に感情もある。
今回はそんなものたちに向き合って、1年間を振り返りたい。
そして伝えよう。
今年も1年間、高校ラグビーを見せてくれたすべての選手、関係者のみなさまへ。
ありがとう。
まだ全員、揃ってへん
強豪校が揃い、毎年のように熱戦繰り広げられるのが全国高校ラグビー神奈川県予選。
今年の決勝戦のカードも、桐蔭学園 対 東海大相模。
今年の東海大相模は、強かった。
良いキャプテンがいた。
フッカーの矢澤翼選手。
感情を言葉にすることに長けた選手で、その表現力に何度も驚かされた。
だが、神奈川県予選決勝での背番号は17。キャプテンが、リザーブからの出場だった。
三木雄介監督は、その理由について「桐蔭学園さんは全国大会での勝ち方を知っているチーム。一筋縄ではいかないと思っていたので、15対15ではなくメンバー全員で、25対15で戦いたかった」と説明した。
そして「60分の試合が終わる時に、矢澤がグラウンドに立って勝ち切るというイメージしかなかった」と付け加える。
「彼に2番を着させてあげたかった気持ちはありました。でも60分間の中で勝つ術は、このパターンしかない」
だから、矢澤キャプテンもその采配に納得した。
「もちろん2番を背負いたかったです。2番で60分間、戦いたかった。でも今年のチームの特性上、30分で出し切った方が良いと言われて。『60分で勝つためには翼を裏(リザーブ)で出したい』と三木監督に言われ、納得しました。自分が3年間信じてきた監督。この人に従おう、と思った」と正直に打ち明ける。
この日、腕には『魂』と刻み挑んだ。
「自分の身はどうなってもいいから勝ちたい、と思った。魂を込めれば結果がついてくると思っていました」
18-34。一時は6点差に迫ったが、終盤に引き離された。
他にも、超高校級プレイヤーは揃った。
中学時代には自らラグビー部を作ってしまうほど、ラグビーに情熱を注いだNo.8藤久保陸選手。そのコミュニケーション力と突破力は、今年の東海大相模の大きな武器だった。
決勝戦でも幾度だって前に出たが、自らトライすることはなかった。
この日は自ら相手プレイヤーを何人か『潰す役割』を全うし、外で待ち構えたプレイヤーに繋いでトライが決まる。そのシーンを振り返り「久しぶりにチームにコミットできたトライ」と笑顔を見せた。
SO長濱堅選手は『ナンバーワン司令塔』と手首にしたため、決戦に挑んだ。
筆を握ったのは、アナリストの笹川祐さん。メンバー外となった3年生たちの気持ちを背負って戦おう、と気持ちを込めた。
快足ウインガーは恩田暖選手。
1年時から先発を務め、花園の土を踏んだ経験も持つ。
セブンズユース日本代表として海外遠征も経験し、充実の高校3年間を過ごしたが「桐蔭学園を倒したい、全国優勝したい」という夢を最上学年で叶えることはできなかった。
目を引くプレイヤーが挙げきれぬほど揃った代。
だから三木監督は試合後、「これだけたくさんの能力の高い選手たちを預かりながら、勝たせられなかった。私の責任です」と言った。
この1年間、&rugbyは何度も東海大相模の試合を取材した。
正しい言葉を使えば、「東海大相模の試合を観たかった。だから観に行った」になる。
それぐらい魅力的な選手が揃った代だった。
中でも印象に残ったシーンとして、やはり最後の瞬間を挙げたい。
決勝戦を戦い終えた後、バックスタンドにつめかけた高校の仲間や多くの観客に、挨拶に出向いた時のことだ。
矢澤キャプテンが号令し、一列に並んだ選手たちは頭を下げた。
応援の御礼を伝え、ロッカールームに引き返そうとした時。
三木監督は「つばさ!」と声をあげ、一行を呼び止めた。
「まだ、全員揃ってへん!」
アナリストの笹川祐さん。
2022年夏、ラグビー中の怪我が起因し車椅子生活になった笹川さんが、車椅子を操ってグラウンドの外周をたどりバックスタンド側へ向かっている最中だった。
この日グラウンドに入った東海大相模ラグビー部の全員が、揃っていないだろうーーー。
そう三木監督が示すと、もう一度全員で整列し直した。
笹川さんが到着し、今度こそ間違いなく全員が揃って列をなし、バックスタンドに向かって頭を下げる。
その光景は、高校ラグビー以外の何物でもなかった。