中村 知春(チャレンジチーム)
女子セブンズ界のレジェンド、と言っても過言ではない。
中村知春、33歳。
質問者の方を真っすぐ見つめ、自分の気持ちを正直に誠実に言葉にすることが出来る、稀有なプレーヤーだ。
写真中央
ラグビーを始めたのは、社会人になってから。それまではバスケットボールをしていた。
一般企業に勤め始めた頃、新しいスポーツにチャレンジしようと自らラグビーチームに電話をし、ラグビーを始めた。
2019年7月までアルカス熊谷に所属した後、現在はナナイロプリズム福岡でゼネラルマネージャー兼選手として東京オリンピック出場を目指す。
実質的な日本代表である今大会のチャレンジチーム。ながとブルーエンジェルスとの決勝戦は、前半をリードされ折り返す苦しい展開となった。
「ながとさんには、良い意味で苦しませてもらった。ここでこういうゲーム展開を乗り越えることが出来たことは、(オリンピックでメダル獲得を目指す)メンバーにとって良い経験になったと思います。」
試合終了のホーンが鳴ると、まず真っ先に駆け寄ったのは、グラウンドに座り込んだ相手選手の元だった。そして手を差し伸べ、温かいハグをかわす。
表彰式の後、今度は2日間場内アナウンスを担当したアナウンサーに挨拶し、大会関係者に頭を下げる。
一ラグビープレーヤーとしてはもちろん、一社会人として。なにより一人間として、中村知春という人間の偉大さを改めて認識した瞬間だった。
試合中にも選手とのコミュニケーションを欠かさない
彼女を慕う後輩選手も多い。
今大会あわせて13トライを奪ったトライゲッターの原わか花選手は、中村知春選手が憧れと公言する。
「真摯にラグビーに向き合う、どんな時でも前を向き続ける姿勢に刺激を受けています。知春さんのプレーを見る度に『私ももう一回動かなきゃ』と思わされますね。人間性も本当に素晴らしいので、知春さんのような30歳になれたらいいな、と思っています。(原選手)」
囲み取材に向かう直前、原選手は中村選手の前に立ち「可愛くなーれ」と髪型を整えた。
干支一回り差の、憧れの人。だがそこには、姉妹のような2人の姿があった。
東京オリンピックまで50日を切ったこの日。選手選考も佳境に入る。
「ここから必要なのは、照準をしっかりと合わせること。国際経験がこの1年積めなかったことは仕方のないことですが、普段の練習を世界クオリティで出来ているか、ということはテーマにしないといけないと思います。自分たちで『よくできたね』とならないように、厳しさとプライドのバランスを保っていかないとな、と。」
東京オリンピックで女子ラグビーの価値を上げるためにも、残り50日、チームの中心に立って戦い抜く。
大会を終えて
中村知春選手は大会後、しみじみと語った。
「やっぱり嬉しいですね。表彰式が終わって挨拶に向かった時に、お客さんの顔が見れる。ラグビーやってて良かったな、と思う瞬間の一つです。」
観客がスタンドにいることが、選手たちの力になる。改めて、難しい状況の中、大会運営にあたられた方々の労苦を労いたいと思った。
観客席には「ウィメンズセブンズありがとう!」の横断幕が掲げられた
大会運営スタッフの中には、ボールパーソンと呼ばれる「試合中にボールを拾い、届ける人たち」がいる。
例えば例年のトップリーグであれば、高校生などがピッチサイドに控えていた。だが今年のトップリーグはコロナ禍ということもあり、高校生の姿は見られず。大人が対応する試合が殆どだった。
今大会のボールパーソンは、熊谷に拠点を構えるアルカス熊谷のアカデミーチーム、アルカスアカデミーの面々が担った。体のまだ小さい小学生たちが、四方八方に走り回る姿を見た方も多いのではないだろうか。
キックオフ時にはボールをセンターラインまで届け、ゴールキックの度に自分たちの待機場所があるセンターライン付近から、それはそれは全速力でゴール裏に駆け込んできた。
彼女たちの足音が聞けることが、なぜか誇らしかった。
例えばワールドシリーズでも、また1か月半後に控えし東京オリンピックでも、キックオフ時には機械がボールをセンターラインまで運ぶ。
だが思う。
頭が足につくほど腰を曲げてお辞儀をする彼女たちが、この大会に温かみを加えてくれたのではないか、と。
この週末、小さなボールパーソンたちがラグビー場を駆け抜けた記憶は、ずっと私たちの、そして彼女たちの記憶に残り続ける。
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