『日本一』を徹し続けた桐蔭学園。「もうあんな思いはしたくない」前年度県大会敗退から掴んだ全国優勝。東福岡、最後に彩るは「モスグリーン色」|桐蔭学園 8-5 東福岡|第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会

東福岡

春の選抜大会。

夏の菅平合宿。

桐蔭学園と戦った今年の2戦、どちらにも敗れていた東福岡。

19-34で敗れた選抜大会後「今年のチームで戦えることが分かった」と手応えを口にしていた藤田雄一郎監督。しかし目の裏には、しっかりと敗戦の悔しさが滲んでいた。

そして、夏。

サニアパークで行われた桐蔭学園との練習試合は、29-33。4点差まで縮めた。

だが、試合を終え坂を下りながら、藤田監督が人知れず発したのは「悔しい!」の一言。

どんな試合でも。たとえ練習試合でも、負けたら悔しい。

だから、負けないためにチームを作り上げた。

チームに関わる大人は、およそ20名。それぞれが毎夜遅くまで役目を務め、最高の準備をした。

選手たちもそれに応えるかのように、花園期間中、毎時間のように成長を続ける。

春よりも、夏よりも。確かな自信と武器を手に、最後の60分間へと挑んだ。

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試合を分けたのは、たった一つ。僅かなミスであった。

だがそのミスも、アンラッキーなシチュエーション。仲間が目の前で痛み座っている、その真後ろでボールを受けようとした所、こぼしたボールを相手にトライまで結びつけられてしまった。

ただただ、アンラッキー。それ以上でもそれ以下でもない、5点を献上した。

その後東福岡が奪い返したトライは、この試合両チームで唯一、崩して取り切ったものだった。

No.8高比良恭介キャプテンが右端で前に出ると、14番・深田衣咲選手へと繋ぎ、最後は12番・神拓実選手が持ち込む。

流れるような、東福岡らしいトライが生まれた。

ヒガシの緑のジャージーを、日本一格好良いものにする。

憧れられる存在になる。

目指した3年間の結末は、たった3点が届かなかった。

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憧れたヒガシの9番

「日本一格好良いジャージーにしたかった。監督を勝たせたかった。(キャプテン・高比良)恭介を胴上げしたかった。」

誰よりも最後まで、グラウンドに深くお辞儀をし続けたのは、9番・利守晴選手。

「ずっと憧れてきた舞台で、ずっと憧れてきたヒガシの9番をつけて、花園の決勝に立てた。幸せでした。」

試合中どれだけキツい時でも、スタンドを見れば、声を出し続けてくれる仲間がいた。

試合最終盤、スタンドから響いた『博多の男なら』は、これまでのどの試合よりも大きく、力強く、一つの大きな塊となって選手たちの耳に届いた。

「試合前日、最後の練習に来てくれたノンメンバーの3年生の中には、声が枯れている人もいっぱいいました。僕たちを応援してくれているのは、素直な想いだけではないと思っています。複雑な感情があるだろう中でも、僕たちの背中を押すために応援してくれている。最後、日本一強い3年生にしてあげたかった。日本一強いチームの応援ができたことを誇りに思ってほしかった。でも、できなかった。」

感謝の気持ちを込めて、長く深いお辞儀を、何秒にもわたって続けた。


試合後、ノンメンバーの胸に顔を埋めた

1年を通して、3点の大事さ、そしてミスをしないことが一番の戦術と口にしてきた利守選手。

「チームの真ん中にいる核の僕が、いつも通りのことができなくなった」と涙を流す。

ヒガシの9番として、ヒガシを勝たせたかった。

「ヒガシの9番をつけられたことが、僕の中で一番幸せでした。次に託します。」

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母へ、ありがとう

試合最初のジャッカルを決めたのは、1番・沢田海盛選手。

2023年10月、髪の毛を刈り上げた。

母が病を患った。

治療のため髪の毛が抜けるであろうことを想定し、自らも一緒の気持ちになりたい、と志願し短くする。

父と母、そして弟との4人家族。

「家族で女の子はお母さんだけだから」と、理由を説明した。

今大会中、母はスタンドから声援を送り続けた。

試合が始まる前、藤田監督はグラウンドに姿を現すと真っ先に沢田選手の肩を抱き、スタンドを見上げれば、その姿を見つけともに手を振った。

決勝戦が終わり、会場の外で挨拶を終えると、やはり一番初めに歩み寄る。そして優しい笑顔で、語り掛けた。

「これからも頑張らせます。弟もね。」

弟は東福岡の2年生。

東福岡を愛する監督は、東福岡を選んだ選手たちのその先をも誓った。

本当は、お母さんに優勝の金メダルをかけてあげたかった。

だが叶えることのできなかった、たった一つの願い。

「準優勝で終わってしまいました。優勝という形で恩返しできなくて申し訳ないです。でも仲間と家族が『ありがとう』って言ってくれた。感謝しかありません。(沢田選手)」

これから先のステージで、必ずや母に金メダルを。


「みんなバカばっかりで(笑)笑顔がたくさんあった3年間、自分色を出せた3年間でした(沢田選手)」

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「もうラグビーはできない」からの復活

存在感のあるプロップ。そしてとことんムードメーカー。

鼻歌を歌いながら練習グラウンドへとやってくる明るさを兼ね備えるのは、3番・茨木海斗選手。

だが、東福岡高校で過ごした3年目、想像していなかった苦しい日々を過ごした。

もうラグビーはできない、と言われた時期があった。

昨年の花園では、体重110kg。それが、96kgまで落ちる。

1週間、ご飯を食べられない時もあった。

夏合宿も国体も、絶対に間に合わない。

だから、ここ花園だけに照準を合わせ、復活した。

入学前、東福岡のラグビーは「きれいなラグビー」だと思い描いていた。

だが実際は、ひたむきなラグビー。「マスコミには決して見せられない(藤田監督談)」という厳しい練習を繰り返した日々だった。

「悔しいです。最後は絶対、優勝して終わりたかった。勝って恩返ししたかったです。」

涙は止まらなかった。


ノーサイドの笛が鳴ると真っ先に膝をついた

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自分色に染めよう

試合前、円陣を組み黙とうするのが東福岡の恒例。

黙とうに入る直前、15番・隅田誠太郎バイスキャプテンが1年間かけ続けてきた言葉がある。

「グラウンドを彩ろう」

だがこの決勝では「自分色に染めよう」と決意を示した。

「最後の試合。全力で楽しむ、という意味を込めて、『一人ひとりが自分色に染めよう』と伝えました。(隅田選手)」

試合時間残り10分。3点のビハインド。

自陣ゴール前まで攻められると、隅田選手は叫んだ。

「あと10分!走るだけ走れ!あと10分や!!」

その声は、枯れていた。

描いていた、最高の形では彩れなかった。

でもこの3年間、67期生でラグビーに打ち込んだ日々は最高の彩だった。

「試合が終わった後は、悔しいよりもやり切ったという気持ちが強くて。涙は出てきませんでした。」

泣き崩れる仲間を走って迎えに行けば、頭をなでた。

左腕にオレンジのリストバンドを巻くことが許された、東福岡の15番として。東福岡のバイスキャプテンとして。最後まで務めを果たした。

だが、会場の外に出ると「今までお世話になった人たちの顔、メンバー外の3年生の顔を見たら、涙が止まらなくなった」と話す。

メンバー外の3年生たちが、東福岡の応援歌である『博多の男なら』を歌いながら、選手たちを出迎えたのだ。

「人数が多い67期でした。一人ひとりが自分色を出せた1年間。優勝してグリーンには染められなかったけど、最高の自分色に染められたかなと思います。」

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楽しかった、まじで

『彩』をスローガンに歩んだ1年間。

様々な景色を見た。

桜の季節には、前半10分間のみの彩からスタートする。

夏には、少しずつ色づく芽吹きを感じさせた。

そして、ここ花園で。

「一人ひとりの強みで彩れたと思うし、東福岡のグリーンウォールをみせられた。モスグリーンに彩れたかな、と思います。」

高比良恭介キャプテンが最後に見た景色は、東福岡のモスグリーン色であった。

試合後、会場の外では3年生55人が大きな輪を作った。

すると、すこし離れた高比良キャプテン。仲間の方を見ながら、小さな声でつぶやいた。

「楽しかった、まじで。」

夕日に照らされたその表情には、慈しみが宿っていた。

人々は言う。

東福岡とは、強さの象徴だ、と。

圧倒的王者であり、常に強者。ラグビー界の大横綱。

多くの高校生ラガーマンにとって憧れであり、だからこそ多くのライバルを有する。

東福岡とは。

「全力でラグビーを楽しませてくれる、最高の場所でした。(15番・隅田誠太郎バイスキャプテン)」

愛称・PHOENIX。

不死鳥如く、蘇り続ける。

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受け継ぐ者

試合後、SH利守選手が頭を下げ続けていることに気付き駆け寄ったのは、サポートメンバーとしてグラウンドに立っていた2年生の梁瀬拓斗選手。

「2年間ありがとう」と伝えた。


「東福岡は負けちゃいけないな、って思いました。強い東福岡で在りたい。来年は負けない。負けない。(梁瀬選手)」負けない、を2度繰り返した。

東福岡が今年始めた取り組みの一つに、『ネクスト』がある。1・2年生だけで構成し、次世代のグリーン(Aチーム)候補を育成することを目的とする。

決勝戦で唯一、2年生ながら先発した14番・深田衣咲選手はネクスト出身。夏の菅平にはネクストの一員として上がり、菅平合宿の中盤に行われた桐蔭学園戦から、Aチームに名を連ねることが増えた。

U17日本代表として桜のジャージーを着た9月以降は、グリーンに定着する。

今大会30名の登録メンバーのうち、2年生が4人。1年生が2人。そして10人のサポートメンバーのうち、7人が下級生。

花園を経験した計40人中、13人が来年も残る。

夏、ネクストのリーダー役を買って出たFL/No.8梁瀬将斗選手(2年生)は、セレクトマッチでの活躍が評価され花園のメンバー入りを果たした。

「嬉しい。何よりも3年生と一緒にラグビーできることが嬉しい。」

2回戦・朝明戦。後半の30分間、花園ラグビー場の第1グラウンドに立った。


夏の試練を乗り越えたからこそ、体を当てられるように。

「3年生たちは、本当に優しかった。自分ダメダメで、いっつもサポートしてもらっていたんです。本当に優しい3年生たちでした。」

3年生が涙を流した時には、自身の目にも涙が溢れた。

「来年は絶対、泣かないように。日本一を獲れるように。」

だから。

「絶対、来年は日本一を獲ります。」

365日後に向けた、次の挑戦が始まった。

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試合後コメント 藤田雄一郎監督

アタックの回数を増やさないとどうにもならない。ボールを持ったらボールを動かそう、とハーフタイムには話をしました。

選手たちは、最後の最後に一番のピークを持ってきてくれた。ものすごく成長した1年間。

去年のこの決勝の舞台には、誰一人として立っていなかった所からここまでたどり着きました。

素晴らしい成長でした。このチームが誇りです。

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