パリ2024オリンピック 7人制ラグビー競技に出場する女子日本代表へ。恩師からのエール

パリ2024オリンピックが幕を開けた。

7人制ラグビー女子が7月28日に初戦・アメリカ戦を迎えるにあたり、それぞれの出身高校の恩師からエールをもらった。

※第11回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に出場していた高校のみ

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國學院栃木高校

内海春菜子選手へ ~吉岡肇監督より

春菜子を一言で表すと『不屈の精神力』。

これまで5回の手術を経験しています。うち3回が、高校時代。左右の前十字靭帯を断裂、そして肩のオペ。

それでも不死鳥のごとく3度とも復帰しました。

ふつうはラグビー辞めるでしょう。懲りるでしょう。

骨が弱いとか、鍛え方が足りないとか、そういうことではないんです。女性離れしているスピードと、勇気や責任感が相まって、気持ちに体がついていかない、そんな怪我だと思っています。

高校時代は全国選抜でキャプテンとして優勝、流通経済大学の時にも茨城国体で優勝。

見事に復活しては優勝をさせる、優勝請負人でした。

今回も怪我をしていたらしいのですが、無事間に合ってメンバー入り。その不屈の精神力と天性のリーダーシップを発揮して、一つでも多く、1分でも多くプレーして、日本に貢献してメダルを持って帰ってきてほしいと願っています。

田中笑伊選手へ ~吉岡肇監督より

入学早々、お父さまが交通事故により急逝されました。國學院栃木に入って間もなくのことでした。

富山県出身の笑伊。お葬式に行き、母一人で栃木の学校に通わせるのも大変だろうと、地元・富山の高校への転校も大丈夫ですよとお話をさせて頂きました。

そうしたら、お母さまがなんと言ったか。

「お父さんは笑伊のラグビーをしている姿を見ることが生きがいのような、笑伊のラグビーが大好きな人でした。自分の交通事故で、笑伊には大好きなラグビーを辞めてほしくないと思います。わたしも頑張るので、栃木さんには引き続き、笑伊の夢を。大好きなラグビーを栃木でやりたくて行ったんだから、そのまま先生、預かり育ててください」

びっくりしました。

それで頑張って、高校在学中から日本代表に帯同し、日本代表予備軍として活動してきました。

一時はもう日本代表ダメかな、と思ったこともありました。東京五輪もダメでした。でも見事に復活してきたから。

今、連絡してきてくれるのはお母さんですが、お父さんのことが浮かびます。

よく、オリンピックメンバーに選ばれてくれました。あの時の想いを忘れずに頑張ってきたから。

「よく頑張ったね、さらに頑張ってね」との思いです。

親孝行。お父さんが、天国で一番喜んでくれているんじゃないかな。

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松田凜日選手へ ~吉岡肇監督より

お父さんがワールドカップ4大会に選出された松田努氏。注目もあったんだろうけど、逸材です。

入学と同時に日本代表活動も始まったので、年中赤羽にあるトレーニングセンターに送り迎えしていました。親代わりなので、運転して送って行ったことを覚えています。

体が大きくて、馬力がある。逸材と言われながらも、怪我が多くてね。

東京五輪も一度はメンバーに選ばれましたが、直前の怪我で出場断念。

先日、パリ五輪メンバーに選ばれたと電話があった時、真っ先に伝えました。

「今度は気を付けるんだぞ」と。最終調整に余念なく、2大会連続のオリンピックで、今度こそプレーして欲しいなと思います。

また学業成績もオール5に近い子です。日本体育大学に進学したのは、なんとしても東京オリンピックに出たいからこそ、でした。

オリンピックのために、環境を選ぶ子。オリンピックへの思い入れも、あるはずです。

パリでは2回分のオリンピックを、楽しんできてほしいです。

3選手へ ~吉岡肇監督より

國學院栃木には、女子ラグビー部がありません。ラグビー部の女子部員です。

監督も部長も、女子担当のコーチもいなければ、女子の練習メニューもありません。男子と一緒でよければ、ということで入学・入部してきた選手たち。

女子寮がないので、3人とも我が家のアパートで預かりました。3年間同じ屋根の下で暮らしたので、恩師というか特別な、我が娘のような気持ちです。

わたしの娘(吉岡陽夏さん)は、笑伊・春菜子の1学年上。娘も一緒に試合をして、一緒にタックルした仲でした。

食事部屋で一緒にご飯を食べたこともあります。しっかりご飯を食べられているか、確認もしていました。

格別な想いですね。本当に娘の1人、のような気持ちで応援しています。

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石見智翠館高校

原わか花選手、大谷芽生選手へ ~出村知也監督より

わか花は負けん気が強い選手。

(現在中部大春日丘高校のコーチである)大向先生がいらっしゃった頃には「どうやったらそんなステップ切れるんですか?」と、よく聞いていた姿を覚えています。

意欲のある選手でした。

芽生は正直、こんなにすごい選手になるとは思いませんでした。のほほんとして、可愛らしい子で。

だから頑張ったのだと思います。

もちろん石見智翠館にいる頃から2人ともすごい選手だったのですが、まさか芽生がオリンピアンになるとは・・・。驚いています(笑)

2人にはぜひ、金メダルを獲って欲しい!

島根に帰ってきてメダルを掛けてもらったら、美味しいお酒に連れて行ってあげたいです。

頑張れ!みんなで応援しています!

松岡紗也香トレーナーへ ~狩野祐司トレーナーより

一つでも順位を上に!頑張ってください!

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佐賀工業高校

堤ほの花選手へ ~枝吉巨樹監督より

ほの花が佐賀工業にとって初めての女子選手。最初は自分たちコーチ陣も扱いが分からなくて、全部男子と同じメニュー。男子と一緒にラグビーをしていました。

一番覚えているのは、菅平合宿の最終日。東海大大阪仰星との試合で、Cチームのフルバックがタックルに入らなかったんですね。

そうしたら、総監督の小城博先生が「フルバック代われ!ほの花、いけー!女子がどれだけタックルするか、見とけー!」と送り出して。

相手選手が抜けてきたところ、ほの花がパコーンとタックルに行ったんです。格好良いんですよ。

高校生の頃から男子と一緒に普通にゲームをしていたので「あのぐらいの気合いが入っていれば日本代表になれるんだ」と、思わされました。

でも後々、他の女子選手はこんなにできなくて。何でかな?と思ったら、彼女が特別だったっていう(笑)

タックルも、ランニングも、全部男子と一緒にこなした3年間。全部バチバチにやっていました。

ですが後から聞いたら、強度もスピードも男子に比べたら劣ってしまうので、そこに悩んでいたみたいです。

「本当はやっぱりキツかった」と、卒業してから教えてくれました。今では女子部を作り、練習内容によっては男女分かれて練習をしています。

が、もちろん当時はそんなこと分からなくて。やっぱりほの花はすごかったんだな、と思います。

佐賀県から(男子選手含め)4名もオリンピック選手が出るということは名誉なこと。今後そういうことがあるかどうかも分かりません。

佐賀工業の誇りの選手たち。

楽しんで、思い切って。自分の持ってるポテンシャルを出し切ってください。応援しています。

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