深谷
この日、試合に出場できない選手が3名いた。
9月上旬に行った他校との合同練習で、左膝に大けがを負ったセンター・明戸誠和選手。準々決勝にたどり着けば試合出場をと考えていたが、しばらくは休養が必要だった。
左プロップの橋本皓輝選手は、1週間前に行われた2回戦・伊奈学園戦で脳震盪。
そして、今季のキャプテンであり高校日本代表候補にも名を連ねるフッカー・新井靖憲選手もまた、同試合で脳震盪を負った。
いずれも下級生の頃から主力選手として試合に出場してきた3選手。
彼らが揃ってグラウンドに立たない公式戦は、今季初めてだった。
3選手が出場できないと決まったこの1週間。
率いる山田久郎監督は「3人が出られなかったとしても、彼らがいなければできないラグビーではない。自分たちの強みを活かせるラグビーを、と考えて準備してきました」と話す。
戦術はいつもどおり。
スペースにボールを動かすラグビーを。
僅かでも空いているスペースを突くラグビーを。
サインプレーも、ムーブも、準備を整えた。
迎えた3回戦。
コミュニケーションミスから先行を許した。
グラウンド中央に飛び込まれ、先制パンチを食らった。
すぐに2トライを返し逆転したが、試合はシーソーゲームに。
終盤には4点差が7点差に広がり、ついには12点差へ。
徐々に高まる緊張感。会場中が張り詰めた。
だが4点のビハインドとなった時点では、試合時間は充分に残っていた。
落ち着いてプレーすれば問題なく逆転を狙えるだけの残り時間だったが、しかし敵陣でボールを繋ぐ選手たちの表情は晴れない。
決してハンドリングエラーが多くなったわけではない。
球運びに、幾ばくかの不安と焦りが表れた。
この日、ゲームキャプテンを務めた浅見良來ゲームキャプテンは言う。
「焦らせちゃったのかもしれないです」
グラウンドに立っていた過半数を占める1・2年生たちを、3年生はもっと落ち着かせてあげられたのではないか、と絞り出した。
正フッカーが不在だった分、ラインアウトなど「不安に思っているところが失点に繋がってしまった」と振り返ったのは山田監督。
相手チームには高身長プレイヤーが幾人も並んだ。
川越の最高身長は190㎝。先発15名中、6名が180㎝を超えた。
一方の深谷は、最高身長178㎝。
数字で見ても、厳しい空中戦だった。
「フロントローの2人がいなかったこと。みんな『大丈夫、だいじょうぶ』と言っていましたが、思いのほかダメージがあったのかもしれない」と慮った山田監督。
キープレイヤー中のキープレイヤーだった選手の欠場。
もちろん当の本人たちは試合に出たがったが、「彼らの未来の方が大事」と山田監督。強行出場は決して許さなかった。
熊谷ラグビー場Aグラウンドにたどり着かなかったのは、山田監督体制になって初めてのこと。
前回、準々決勝入りを逃したのは、その年の優勝校・埼工大深谷(現・正智深谷)と3回戦で対戦した平成6年。
平成7年度、第75回大会から29年に渡ってベスト8に入り続けてきた深谷だった。
「自分への不甲斐なさ。もっと時間を掛けなきゃいけなかったのかな」
山田監督は、まだ整理のつかぬ表情で答えた。
託されたフッカー、そしてゲームキャプテン
公式戦では初めてゲームキャプテンを務めた浅見良來選手。
1年生から深谷のファーストジャージーを着続けた3年間を振り返って「先生たちには感謝しかありません。保護者の方々、深高OBの方々も応援してくれていました。感謝しかない3年間です」と紡いだ。
この日は、新井靖憲キャプテンに代わって2番のジャージーを身に着けた。
「ヤスノリとは1年生の頃から一緒に試合に出ていました。下級生だけでなく、同級生にも。もちろん僕にも、1人ずつ声を掛けてくれたキャプテンでした」
そんな新井キャプテンから託されたフッカー。そして、ゲームキャプテン。
「チームを勝たせてあげたい」と覚悟を決めた。
ピッチイン直前のこと。
浅見選手の背中をドンと一つ叩き、気合いを注入したのは新井キャプテン。
「自分がふだん任されているポジション。プレッシャーも理解できますし、そのプレッシャーを理解できるのは自分しかいない。だから笑顔で送り出しました(新井キャプテン)」
浅見ゲームキャプテンも「託されました」と、掌から伝わる熱量を受け取った。
「ヤスノリは深谷のキャプテン。十分に伝わった気持ちを受けて、自分も最後まで戦えました。ハードワークすることも、泥臭いプレーも。1・2年生たちも最後までやってくれました。60分間みんなでやり切ったけど、相手の方が上回っていたのだと思います」
やりきった。だが、届かなかった。
大きな涙を、一つ頬に零した。
「絶対、おまえがいたら花園行けるから」
同じ中学校に通っていた、HO新井靖憲キャプテンとSO大屋玲穏バイスキャプテン。
当初、大屋バイスキャプテンは兄に続いて深谷高校を、そして新井キャプテンは、父や兄が通った熊谷工業高校への進学を考えていたという。
だが、大屋バイスキャプテンは諦めなかった。
高校でも一緒にラグビーがしたい。
「ヤスノリがいたら絶対楽しいだろうな、と思って」新井キャプテンを深谷に誘った。
口説き文句は「絶対、おまえがいたら花園行けるから」。
学校に行けば直接声を掛け、帰宅後はLINEでメッセージを送り続ける日々。
「半ば強引に深谷高校に誘ったんです」と懐かしんだ。
大屋バイスキャプテンのラブコール実って、6年間同じジャージーを着てラグビーに勤しんだ2人。
しかしともに楕円球を握るのは、一旦ここまでだ。
「すぐ近くにずっといたので、(離れることに)イメージが沸かないです」と表情を曇らせる。
最後のさいご、一緒にグラウンドに立てなかったことに、どうしたって悔いは残る。
「今日は深谷の柱となる、軸となる人がグラウンドにいなかった。みんなの心の拠り所を作ってあげられなかったことが、一番しんどかったです」
ゲームメーカーとして難しい60分を過ごした。
試合を終えた直後。
ギュッと口を結び、涙を見せなかった大屋バイスキャプテン。
「涙で終わりたくないな、と思って」
少し、仲間の輪から外れる時間を作った。
「自分がここまで来れたのも、3年生たちのおかげ。楽しかったです」
一方、深谷でのラストゲームをグラウンドの外で迎えた新井キャプテンは「試合に出ているメンバーが、深高の代表。安心して送り出しました」と口にする。
「焦りもなく、最後まで信じていました。試合中は冷静にアドバイスをできていました」と振り返る。
それでも、無情にも鳴ったノーサイドの笛。
「自分が出ていれば、という気持ちも正直、ありました。でも仲間が本当に頑張ってくれた。深谷の代表として頑張ってくれた仲間に対して、自分が涙を見せてしまったら終われないかなと思って」
表情を崩さなかった。
深谷で過ごした、たった一度の高校生活。
「レオン(大屋バイスキャプテン)がいなかったら。ハシコー(橋本選手)がいなかったら、こんなに集中できなかったと思っています。繋がりに感謝したいです。深谷を選んだことに、後悔はありません」
そして、後輩たちにこれからの深谷高校ラグビー部を託した。
「僕たちの代で、クールにラグビーをしても勝てないことが分かりました。マインドをもう一回、ガムシャラさを出して。気持ちの部分で負けないでやっていって欲しいなと思います」
まだ全然(敗れた)実感が沸かないです、と正直な気持ちを吐露し、会場を後にした。