第104回全国高等学校ラグビーフットボール大会で大優勝旗・飛球の旗を手にしたのは、神奈川県代表・桐蔭学園高等学校だった。
59期(高校3年生の代のこと)は、いかにして頂点へと上り詰めたのか。
今季のスタート・ゼロ地点から振り返り、その軌跡をたどる。
1月
59期の本スタートは、1月21日の神奈川県高等学校ラグビーフットボール 新人大会準決勝。
主力選手たちが出場した、初めての公式戦だった。
慶應義塾に対し33-0で勝利を収めたものの、その戦いぶりは決して、桐蔭学園らしいものではない。
試合後、藤原秀之監督は厳しい口調で言った。
「まだ船を作っていない。筏(いかだ)にもなっていない。いつ作り終えるかは本人たち次第。木材を探しているんじゃないですかね。木を切る所から、廃材しかないかもしれないけど。冒険はできないかもしれない。大海原には出られないかもしれない」
その試合の2週間前には、1代上の58期が花園で優勝したばかり。新チームになり初めてのゲームという厳しい条件下ではあったものの、それでも桐蔭学園のジャージーを着るからには示さなければならない基準がある。
だがこの日のラグビーは、その基準に到底たどりついているものではなかった。
知将は59期の花園出場を危ぶんだ。
2月
第24回関東高等学校ラグビーフットボール新人大会では1回戦で佐野日大に139-0で勝利。
準々決勝でも山梨学院から69-7で勝利を収め、準決勝では國學院久我山を64-28で下した。
そして迎えた決勝戦、相手は國學院栃木。
7-10で敗れた。
最後は3分間を超える28次攻撃を仕掛けたが、しかし敵陣22m内に入ることすらできず。
「基礎の所を飛ばしてしまいました。自分たちの覚悟が決まっていなかった。自分たちの土台がないな、と再認識しました」(申驥世キャプテン)
後半のペナルティ数は、相手の5倍。
自らを律したいと『律』をスローガンに掲げたチームらしからぬ反則数を数え、関東新人王者の座を明け渡した。
「船出したと思ったら、沈んで修理工場に戻ってきました。でもどのチームもそうです。毎年、その繰り返し」(福本剛コーチ)
肩を落とした選手たちは、しかし涙を流すことなく帰路についた。
3月
基礎、土台、覚悟。
この3つが、いかに桐蔭学園にとって大きな意味を持つのかが露呈した関東新人大会から1ヵ月。
第25回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会に挑んだ桐蔭学園は、はやくも想像を大きく超える飛躍を見せた。
シンプルに体を当てる、その当て方とサポートの仕方にこだわったラグビーで50-19。
中学時代に九州を制したメンバーが揃う長崎北陽台に完勝すれば、続く2回戦・東海大大阪仰星にも21-7で勝利。
『自分たちの軸』を戦いの中で確立すると、準々決勝・目黒学院戦では36-0。
8大会連続となるベスト4入りを果たした。
しかしながらフォワード・バックスともにタレントが揃い、ゲームメイクに長けた大阪桐蔭を相手にした準決勝では7-13。
「昨年できていたことを、自分たちもできると思い込んでしまっていた」(No.8新里堅志選手)と言うとおり、「関東新人大会からの課題である『取り切れない決定力のなさ』」(FB古賀龍人選手)を補うことは、まだできていなかった。
試合後には悔し涙を流した選手たち。
関東新人大会からの1ヵ月で、悔しさが溢れるだけの練習を積み重ねてきたことは明白だった。
実はこの時、準決勝まで勝ち上がるとは想定していなかった桐蔭学園ラグビー部のスタッフ陣。準々決勝以降分のテーピングを持ち合わせておらず、一度神奈川まで取りに帰ったという裏話もある。
それほどまでに、関東新人大会からの1ヵ月で選手たち自身が大きな成長をみせたのだ。