桐蔭学園59期、15人の物語。笑顔と決意と『大好き』

第104回全国高等学校ラグビーフットボール大会で2大会連続5回目の優勝を果たした、神奈川県代表・桐蔭学園高等学校。

決勝戦で先発を務めた15人それぞれの活躍を振り返りながら、秘められた想いに触れる。

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1番・ 石原遼

石原遼。昨年からその名前はメンバー表に並んでいたが、怪我が影響し先発定着までには時間がかかった。

全国選抜大会での準決勝・大阪桐蔭戦には16番で登録されてるも、出場機会はなし。

「仲間が苦しんでいる姿を外から見ることしかできなかった」と唇を噛んだ。

転機が訪れたのは夏のこと。

8月に行われた菅平合宿中、右プロップの人数が足りなくなり、急遽タイトヘッドプロップへの挑戦を打診された所から潮目が変わる。

それまでは1番が専門だったが、人生で初めての3番に挑戦したその初試合で、スクラムを押した。

そこから始まった快進撃。

オール神奈川でも3番で選出され、国スポ佐賀大会では先発を担った。

神奈川県予選では左プロップへと戻ったが、しかし3番・喜瑛人選手の負傷により、県大会決勝では急遽、再びの3番を務めることに。

ピンチをチャンスに変える男。夏の試練が、実を結んだ。


2番・堂薗選手、3番・喜選手は2年生。3年生プレイヤーとしてフロントロー陣を牽引した

明るく、賢く、情熱家。

準々決勝・大阪桐蔭戦で、反撃の狼煙となる1トライ目を押し込んだのは石原選手。

これまで積み重ねた努力の数々が、僅かな隙間をこじ開けた。

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2番・堂薗尚悟

シーズンスタート時から背番号2を背負い続けた、堂薗尚悟選手。2年生ながら抜群の安定感を誇る。

しかし昨季の花園では、登録メンバー30人入りならず。次年度以降の活躍を期待する『育成枠』として、大阪に出向いていた。

大阪城の周りを早朝に走ったり、グラウンド周りで基礎トレーニングを積み重ねたり。すぐ側にいる『日本一を掴み獲るチャンピオンチーム』を横目に、憧れと悔しさを胸に秘めた。

「もう一度この場所に、自分も戻ってきたい。自分の手でポジションを勝ち取って、優勝する」

強い想いを抱き、今シーズンをスタートさせた。


決勝戦当日。ウォーミングアップを終え、ロッカールームへと向かう堂薗選手(写真左)

1日1日の練習に、真っ直ぐ向き合った。

桐蔭学園で経験を積む傍ら、U17関東ブロック代表ではキャプテンを、U17日本代表ではバイスキャプテンを務めた。

「チームのリーダー格としてプレーする人たちの役割を、少し理解できました」

キセやニシノ、シンザトとFWの先輩たちを、尊敬を込めて呼び捨てで呼んだ。

いくぶん秋めいてきた頃のこと。

堂薗選手は、申驥世キャプテンと2人きりの時間を作った。

「チームに影響を与えるために、どのようなプレーをしたらいいか分からなくなってしまったんです。それでキセに相談しました。『どういうプレーをしたらいいですか。どういうプレーがチームに貢献できますか』と、聞いたんです」

申キャプテンは返した。

「おまえの強みは何なんだ」

堂薗選手も、答えた。

「走って声を出すことです」

だから、申キャプテンは言った。

「じゃあ、声出して走れよ」

最もシンプルで、最も勇気をもらえる言葉をもらった堂薗選手は、花園で全5試合に先発出場した。

2つのトライと、1つの未認定トライ。

走って声を出して笑顔で駆け抜ければ、決勝戦では貴重なモールトライを決め、笑顔で締め括った。

「モールでボールを持てた。(これまでモールトライ時のボールキャリアーは申キャプテンになることが多かったので)ラッキーでした。とても楽しかったし、あっという間。すごく濃い決勝の60分でした。『堂薗はやるべきことを徹してくれれば大丈夫』と3年生たちが言ってくれたので、やり易かったです。本当にたくさんの先輩たちに支えてもらって、のびのびとプレーできました。この2連覇に浮かれることなく、来年は自分たちの代らしい優勝の仕方を追求していきたいです」

憧れの3年生たちから、桐蔭学園を引き継いだ。

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3番・喜瑛人

2年生のスクラムキング、喜瑛人選手。

関東新人大会での衝撃的なAチームデビューは、見る者に大きなインパクトを与えた。

スクラムでコラプシングを取れる強さはもちろん、ボールキャリアーとしても好判断からビッグゲインを決め、またディフェンス局面ではジャッカルを何度も成功させた。

当時、まだ1年生。そして背番号は1番。3番を主としながらも「1番でも3番でもスクラムを組めるような選手に」と将来像を描きチャレンジしていた最中だった。

大阪府出身の喜選手。芦屋ラグビースクールでラグビーに勤しんだが、高校は親元を離れた。

ラグビー日本代表に桐蔭学園出身選手が多いこと、また基礎を徹底した指導を受けられることに魅力を感じ、「しっかりと基礎を固めてから次のキャリアに進みたい」と桐蔭学園への進学を決意する。

チャレンジ2年目の今年。

しかし夏も冬も、怪我に悩まされた。

大会直前まで週6度のリハビリに時間を費やしながら、気付けば頭を丸め、坊主姿で花園へかける想いを示した。

髪にまつわるエピソードは、春にも一つ。

サニックスワールドユース交流大会時、宿舎が同じ棟だったアメリカチームの選手と仲良くなり、髪の毛を散髪してもらったのだとか。

言葉が通じない中でもコミュニケーションを取れてしまうのが、高校生。

愛嬌十分な姿は、やっぱり3番が似合う。

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4番・ 足立佳樹

中西康介選手、佐藤龍之介選手ら3年生のロック陣とともに切磋琢磨し、着実に力をつけたのが2年生の足立佳樹選手。

準々決勝以降は4番でフル出場を重ねた。

今シーズン足立選手が決めたトライの中で最も印象に残ったのは、サニックスワールドユース交流大会決勝戦・大阪桐蔭戦でのラストトライ。

『初志貫徹』の横断幕を背に飛び込んだ、左サイドを駆け上がってのトライは、今年の活躍を予感させるに十分だった。

それから7カ月後の、1月7日。

東海大大阪仰星との決勝戦を戦い抜いた足立選手は、バックスタンドへの挨拶を終えると、中西選手(3年生)の背にまたがった。

今大会サポートメンバーとして同行していた先輩に、労をねぎらってもらう。足立選手の顔には、笑顔が灯った。

1人では決してたどり着けぬ、日本一の頂。

ジャージーを着てグラウンドに立つ15人だけでなく、桐蔭ファミリーで掴み獲った栄光だった。

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5番・ 西野誠一朗

愚直に豊富な仕事量をこなすロック・西野誠一朗選手。夏の終わりから秋にかけ、キャプテン代理を務めた。

中学時代にはバイスキャプテンを務めた経験から、人前で話すことが元々得意だったという西野選手。

それでも学びは大きい。キャプテン職を担うことで視野は広がった。

「周りを見て、FWをどう生かすかと考えながらプレーすることが増えました」

すると、自身のプレーにも変化は起きる。

内に秘めた闘志は、力強いプレーへと昇華。ボールを前に運ぶ印象が一層、強くなった。

何度も仲間のもとに駆け寄り、幾度も手を合わせ、チームのまとまりの中心部に在り続けた1年間。

シーズンをとおして大きな怪我をせず戦い抜いたことが、何よりものチーム孝行だ。

花園でもFWで唯一、全5試合にフル出場を果たした。

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