桐蔭学園59期、15人の物語。笑顔と決意と『大好き』

11番・西本友哉

準決勝・國學院栃木戦。

前半28分に訪れた、突然の出番だった。

左ウイングの3年生・石崎悠生選手が負傷し、急遽の交替を告げられた。

「僕は2年生で、できることも多くはない。だから先輩たちから『自分ができることをやれ』と言われたことで落ち着きました」

代わる代わる3年生たちが手を合わせにやってくれば、落ち着いて、笑顔で右手を伸ばした。


大会前には、3年生の先輩・中西康介選手(ロック)と一緒に頭を刈り上げていた

決勝戦は、今大会初の先発。背番号11をつけ、ラグビーパンツは石崎先輩のものを借用し、ピッチに立った。

序盤はボールが手につかないシーンも見受けられたが、そのミスをカバーしたのは3年生たち。

CTB松本選手にNo.8新里選手、FL小川選手。次々に走り寄り、ボールを奪い返せばだんだんと落ち着きを取り戻した。

応援スタンドにいる3年生たちからも「ミスを恐れずチャレンジしろ」という趣旨のコールは飛んだ。

ミスしようとも挑戦する気持ちを失うことなくプレーし続けることができたのは、グラウンド内外にいる3年生たちの力があったからだった。

「強みとしているアタックで力を発揮することができました」

決勝戦では2つのトライを決め、ウイングとしての役割を全うした。


石崎選手はウォーターとして決勝の舞台に。円陣では西本選手の側に石崎”先輩”が寄り添った

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12番・松本桂太

花園出発5日前に、左足を肉離れが襲った。

痛みを押しての出場。

だがそんなことを感じさせない戦いぶりだったことは間違いない。

活躍が特に顕著だったのは、決勝戦。1トライを奪うなど、獅子奮迅の働きを見せる。

「リョウセイ(13番・徳山凌聖)が2回戦、3回戦、準々決勝と当たっていたので、対戦相手はリョウセイに目が行っていたんだと思う。そこで自分の前が空いて、弱くなった所を自分が突けました」

自身の活躍も、謙虚に捉えた。

ケガの影響もあり、今大会は2年生の坪井悠選手と交代しながら桐蔭学園のセンターラインを守った。

「ユウにはユウの強みがある。やることを一つに決めて、それを徹底してやればいい」

後輩にアドバイスを送り、また実践をとおして桐蔭学園のセンターを受け継いだ。

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13番・徳山凌聖

全試合フル出場。

花園ラグビー場から自転車で15分ほどの距離で生まれ育った徳山選手は、慣れ親しんだ場で躍動した。


決勝戦目前。スタンドに知り合いを見つけ、手を振った

桐蔭学園でプレーしていた兄に憧れ、神奈川の高校へとやってきた徳山選手。

昨季は『育成メンバー』として花園に帯同し、優勝の瞬間をスタンドから見守った。

「優勝の瞬間は痺れました。だから来年は、絶対に花園に立ちたい」

想いを新たに、ラストイヤーを始動させた。

オフフィールドでは、関西人らしいノリの良さでチームの空気を和ませた3年間。

オール神奈川など桐蔭学園外でプレーをすることもあったが、それでもやっぱり「桐蔭が好き」とチームを愛した。

この1年の間に、苦しい表情を垣間見たことは数知れず。全国7人制大会決勝では、一度ベンチに下がりながらも仲間の負傷により急遽の再登板を任されたこともあった。

だが、すべての経験は、1月7日に笑うため。

シーズンスタート時と比較し、最も成長した選手を挙げるとしたら徳山選手の名を挙げよう。

花園で見せた数々の名もなきプレーは、記憶に残るものだった。

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14番・草薙拓海

長い一歩の幅と、膝下の伸びの美しさが代名詞。

ボールを持ち、走り出すとワクワクさせてくれたのが草薙拓海選手だ。

ロシアとウクライナの血を有するウインガー。

2年生の頃は愛嬌ある表情が特徴的だったが、最上学年になるとその責任感からか随分と落ち着き払った。そして比例するように、プレーには力強さが増す。

ゴールデンウイークに出場したサニックスワールドユース交流大会でのこと。大会最優秀選手級の活躍で何度も会場を沸かせたのが草薙選手だった。

藤原秀之監督は度々その時のことを振り返っては、目尻を下げる。

「草薙がボールを持つと観客が沸いていました。海外の人たちにとって、沸くポイントは『ボールを持っている人間がいかに走るか』。紺の14番が良い、というのを分かった上で、決勝戦で草薙がトライを取ると沸いていた。あれなんです。あの歓声が、海外の人たちからの評価なんです」

まだ強くなる、と確信を口にした。

夏、草薙選手はセブンズチームのキャプテンを任された。

15人制ではリーダー陣に名を連ねない者がキャプテンを務めることが、毎夏の恒例。指名された草薙選手は、見事チームを今季初タイトルへと導いた。

初戦・東福岡戦でサヨナラ逆転トライを決めた、あの草薙選手のトライから全ては始まった。

どうやったらトライに結び付けることができるか。

どうやったら、ビッグゲインに繋がるか。

試行錯誤を重ねながら、強くなった1年間。

「ウイングはボールタッチの回数が限られている分、一つのチャンスをものにしなければいけない、ということをサニックスワールドユースで学びました」

11月17日、神奈川県大会決勝。

負傷のため途中で退き、試合後には悔し涙を見せた草薙選手。

そして1月7日、全国大会決勝。

試合後、またもや表情を曇らせ「何もしてない」と呟いた。

そう、その試合だけを切り取れば、納得のいくものではなかったかもしれない。

だが準々決勝・大阪桐蔭戦で勝つことができたのは間違いなく、草薙選手の力強い走りがあったから。

今季、何度も駆け上がった右サイド。

間違いなくエース番号が最も似合う選手だった。

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15番・ 古賀龍人

第103回大会優勝の瞬間もグラウンドに立っていたのが古賀龍人選手。

今季は59期副将を務め、第104回大会では5試合全てで60分間、グラウンドに立ち続けた。

2年時には14番。U17日本代表としても活躍した。

最上級生になると、一貫してフルバックのポジションに。キックとランで何度も陣地を押し上げた。

花園前には「チームが苦しい時に、攻撃の起点となれるようなプレーがしたい」と決意を口にしていた古賀選手。

言葉どおり、苦しい時に自らの足でボールを前に運べば、計3トライを奪った。

桐蔭学園の15番。

これまでこの背番号を身に着けた先輩たちから、名だたる日本代表選手は生まれた。

プレッシャーに責任。様々な感情があったであろうことは、想像に難くない。

だが準決勝・國學院栃木戦でこじ開けた1トライからは、59年目の桐蔭学園を託された者としての誇りが伝わってきた。

「桐蔭学園は、みんなで一つのことをできるチーム。相手も強いのでミスも起き、やりたいことが全部できたわけではないのですが、改善する策を事前にミーティングで話し合うことができました」

チームとして『想定』を増やしながら戦った1年間。

結果が伴わない、苦しい時期を経て辿りついた頂点だった。


決勝戦前のウォーミングアップを終えると、談笑しながらロッカールームへと戻った古賀選手ら3年生たち。昨季とは違い、良い意味で肩の力が抜けた決勝戦前の桐蔭学園だった

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