第104回全国高等学校ラグビーフットボール大会が開幕する、わずか1週間前。
尾道高校のキャプテン・上田恭悠選手は、右膝に骨挫傷を負った。
「骨の中の組織が折れてしまった、ということでした」
通常であれば、全治3カ月。血が溜まり、足が曲がらないほど腫れ上がった日もあったが、チームのメディカルと毎晩のように相談し、出来うる限りの処置を施しながら、開幕直前にグラウンド復帰を果たした。
写真左が上田恭悠キャプテン
迎えた大会本番。
1回戦・名護戦は、メンバー入りを回避。
だが2回戦は、Aシード・石見智翠館との対戦。
「チームがピンチになった時に僕が入ったら雰囲気が変わるから、とメンバーに選んで頂きました」
つけた背番号は21番だった。
試合前。上田選手はキャプテンとして、先発を務める15人に声を掛ける。
「相手はAシードの石見智翠館で、2回戦の最終戦。たくさんの観客が入ると思う。大舞台に緊張だってすると思う。だけどすぐ後ろには俺がおる。そのさらに後ろには、今まで支えてきてくださった多くの人たちだっている。緊張した時、しんどくなった時には、俺の顔を見て欲しい。思い切ったプレーをしよう」
言葉どおり、尾道フィフティーンはなんども敵陣に攻め込んだ。
体を強く当てながらグラウンド広く球を繋げば、しなやかさと泥臭さが交じり合った攻撃を繰り返した。
だが、強固な石見智翠館の防御を崩すには至らない。
後半22分。
指揮官・田中春助監督は、交替カードを切る。
上田キャプテンを呼び寄せた。
上田キャプテンの登場がアナウンスされると、ひと際大きな歓声がこだました。
「僕の名前を呼んでくれるOBの先輩たち、地元の友だち。みんなの声が、すごく聞こえました。感動しました」
この試合一番の声援が聞こえた。
写真左が上田恭悠キャプテン
もう1人。
その姿は見えずとも、間違いなく会場で勇姿を見届けていたであろう人物がいる。
2024年2月に他界した、上田キャプテンのお父さん。
かねてより病気療養しており、代替わりを見届け旅立った。
「僕がキャプテンになるかもしれない、ということをとても喜んでくれていたのが父でした。でも正式就任するまでのお試し期間中に、父は亡くなって。だから僕が正式にキャプテンになったことを、直接伝えることはできていません」
だが父は亡くなる直前、上田キャプテンにある一つの教えを授ける。
『キャプテンとは、人をまとめる立場の人のこと。自分が一番忍耐強く、みんなのことを引っ張っていかなあかんで』
上田キャプテンは言った。
「父の言葉を1年間守ってきた証が、グラウンドに入った時のみんなの歓声だったと思う。そういう姿を、父も見てくれていたと思います」
この日の試合開始時刻は15時45分。
夕焼けが暗闇に移り変わるトワイライトタイムの60分間は、1年間見守り続けていたであろうお父さんからの贈り物だったのかもしれない。
1回戦・名護戦は57-0。
2回戦・石見智翠館戦は、0-23。
3年間全力で向き合った高校ラグビーに、幕を下ろした。
試合後、1人ひとりを抱きしめながら握手を交わした田中監督は、最後尾で待っていた上田キャプテンのもとにたどり着くや否や、表情を歪ませ、長く抱きしめた。
「ありがとう。この試合に出してあげることができて、本当に良かった」
そう声を掛けてもらったのだと、上田キャプテンは明かした。
卒業後は、大阪府内の国公立大学進学を目指す上田キャプテン。
石見智翠館戦が、第一線でプレーするラストゲームとなった。
「かわいい後輩たちに、文武両道の姿を見せたいと思います」
試合前日も、試合が終わった日の夕食後だって参考書を開いた上田キャプテン。
次なる夢へと、向かい進む。