神奈川県
「ゲーム中に修正しきれなかったことが敗因です。自チームではできていることが、ここだとできなくなってしまう。いつもであれば仲間がいるところにサポートプレイヤーがいない、ということもそう。それはコンバインドチームだからなのですが、でも結局は自分たちが成長しきれなかったからだな、と。3試合目で、上まで持っていけなかったことはスタッフの持っていき方だったのかな、と思います」
チームを率いた浜倉裕也監督は、矢印を自らに向けた。
2人の稀有なフッカーを要した、神奈川県。
前半は東海大相模の中村悠稜選手がフッカーで、桐蔭学園の堂薗尚悟選手がフランカー。
後半にはその役目を入れ替え、堂薗選手がフッカーに入り、中村選手がフランカーへと移る。
「前半のフロントローが東海大相模。逆に後半はプロップに桐蔭学園の選手たちを入れるので、堂薗キャプテンがフッカーに入りフロントローを桐蔭学園で固めます。だけど中村悠稜も強烈なタックラーで欠かせない選手。選手たちの方から『後半、(中村)ユウリをフランカーにしていいですか』と相談がありました」
大会前日のことだったという。
前半、重くて大きい東海大相模のFWが相手の体力を削る。
後半になれば、機動力ある桐蔭学園のFWが「怪獣のように」(浜倉裕也監督)グラウンドに出現すれば、縦に縦にと暴れる。
「60分じゃなくていい、25分でいいから頑張ってくれ」と浜倉監督は伝え送り出した日々だった。
その機動力を存分に発揮した、1回戦・栃木県戦と準決勝・千葉県戦。
ともに12-21、0-25とビハインドの状況から試合の流れを引き戻す強さは圧巻だった。
そして決勝戦では、2人のフッカーがコミュニケーションを取りながら、器用に役割を交代。
「グラウンドに立ってプレーしている選手が一番分かる」と、2人で話をしながら、自分たちでポジションを決めて構わないと浜倉監督は任せた。
前半はロックもプロップも東海大相模だったため、普段から一緒にプレーしている東海大相模の中村選手が、基本的にはラインアウトのスローイングとスクラムでのフッカーを務めた。
堂薗キャプテンにとっては、これが自身初となったフランカー役。
「スクラムに自信があるのはユウリの方。僕も後ろから(右プロップの)喜を押せるので、最後押し切ってペナルティを取りに行こうとしていました」と、自らの役割に邁進した。
決勝戦では、1回戦でうまくいかなかったスペシャルプレー、南アフリカがテストマッチで見せたフィールドラインアウトからのトライも決めた。
チームが集合したその日に「これやろう」と選手たちが決めたプレーだったという。
自チームではもしかしたらできないようなことも、自由度の高いコンバインドチームだからできることもある。ひと夏の経験にした。
それでも残るのは、勝てなかった悔しさ。試合後、ベンチで涙を零す選手がいた。
「自分たちの詰めの甘さが今日の試合に出た」と話すは、堂薗キャプテン。
縦に個が抜けた先のコミュニケーション、ディフェンスでもセカンドプレイヤーの寄りに難しさは現れた。
これから先は、それぞれがチームへと戻り、秋・冬にこの経験を繋げていく。
「課題も出た。でも逆に、課題を克服すれば良くなるとも感じました。まずはトライを取り切るところ。そして1対1の強さ。ここにフォーカスして、秋、相模とバチバチやりたいと思います」と堂薗キャプテンが言えば、中村選手も「今回、桐蔭さんと一緒のチームでプレーして、ゲームメイクの部分やFWの運動量が相模には足りないということが分かりました。そこを見習って、(桐蔭学園を)越せるように練習していきます」と宣言した。
昨年まではフランカーとしてもプレーしていた中村選手。「仕事量を売りにしていたのに今日は全然走れなくて。最後、自分がノックフォワードをしてしまって・・・。チームには本当に申し訳ないです」
東京都
「もうコンバインドチームじゃないですね」
決勝戦を終えると、倉上俊ヘッドコーチは目を細めた。
チームに明確な変化が生まれたのは、1回戦・山梨県戦を終えたあとのことだった。
勝敗だけでなく、時間と感情を共有すると、選手たちは目に見えて変わった。
倉上ヘッドコーチは語る。
「ふだんと違う仲間と接しよう、と選手たちが自分たちから踏み込んでいったんです。こちらが何か仕掛けたことはありません。ラグビー面でも人間性でも、自主性のある賢い子たちです」
気づけば選手たちの間にあった距離は、言葉にせずとも縮まっていた。
東京都が優勝を掴んだ最大の要因は、間違いなくディフェンスにあった。
誰の、でもない。どの、でもない。
ただただ、チームとしての“ディフェンス”が、勝利を引き寄せた。
「ラグビーって、一場面で変わるものではないと思っています。1分目も、60分目も、同じだけ重要。だからこそ、最後までちゃんと出し切ってくれました」
倉上ヘッドコーチがそう語るように、東京都の戦いには“ずっと守り続ける”という覚悟があった。
決勝戦で、何度ボールに手を伸ばしただろう。何度スティールに成功し、何度ピンチを救っただろう。
「最後まで諦めなかった」
倉上ヘッドコーチが言うとおり、抜かれそうになった場面でこそ、東京都の選手たちは身体を張った。誇りが宿ったのは、苦しい局面だった。
「暑い中で、合宿日数も少なく、練習も例年より少なかったです。でも、彼らが持っているものを、僕たちスタッフはただ“繋げていく”作業をしただけ。本当に彼らがやってくれた。それだけです」
東京都は、コンバインドチームではなく、ひとつのチームになった。
そのことこそが、頂点に立ったこと以上に、選手たちがこの夏掴み取った大きな価値だった。
喜びひとしおだった宮下隼キャプテン。「マジ、嬉しいです。責任も色々とありましたが、それよりも今は本当にただ嬉しいです。昨年は優勝まで一歩届いていません。本国スポに向け、また50人から選考がスタートすると思いますが、もう一回しっかり、東京のプライドを持ってやっていきます」
涙を取り返す
FWリーダーを務めるは、岩崎壮志選手(早稲田実業3年)。
FWとして魂のディフェンスを見せること、そしてモールトライを取ること。そこに焦点を置いて挑んだ決勝・神奈川県戦。
しかし「モールトライはできなかったし、逆にモールトライをされてしまいました」。だからこそ「ディフェンスで魂を見せるしかない」と、全てを出し切った50分間。
試合後、とめどなく流れる汗をぬぐいながら岩崎選手は笑顔を見せた。
後半20分。5点を追いかける、敵陣22m付近中央で得たペナルティでのこと。
東京都はスクラムを選択した。
FWがスクラムを組ませてくれ、と頼んだのではない。「バックスが信じてスクラムを選んでくれた」のだという。
「絶対スクラムを押してやろう、と。誰が相手とか関係なく、自分の持ち味を出そうと思って組みました」
そのスクラムからしっかりとボールを供給すれば、同点トライ&逆転のコンバージョンは生まれた。
昨年の佐賀国スポ準優勝メンバーでもある岩崎選手。今年に懸ける想いは、人一倍に大きい。
「昨年も最高のメンバーだったのですが、決勝で奈良に負けてしまいました。コバショー(小林商太郎、現・早稲田大学1年)の涙をしっかり取り返せるように。昨年は土屋(裕資、現・青山学院大学1年)・笠井(大志、現・明治大学1年)とフロントローを組んでいたのですが、今年は同じチームのケンソウ(水田謙壮・早稲田実業2年)とタイチ(今村太一・東京3年)と一緒に、全スクラムをプッシュして圧倒していきたいと思います」
FWとして、仲間の信頼を背負い、前へ出る覚悟だ。
一つの家族になれた
スタンドオフを託されたのは、なんと2年生の中山大翔選手(早稲田実業)。
「僕自身、結構緊張していました」というとおり、序盤は硬いプレーが見受けられた。
先制の被トライに繋がってしまったハイパントのキックミスは、中山選手が蹴り上げたものだった。
それでも立て直せば、エリアを取ってロースコアに持ち込む、プランどおりのゲームメイクを見せる。ディフェンスでも横との繋がりを保ちながら、面で上がり、外まで回させずに仕留めた。
「7日間の合宿で、一つの家族になれた。ここでもう1試合勝って、本国スポを戦いたかった」
グラウンド内外で優しくしてくれた3年生たちと、また一緒に試合がしたい。それが原動力となった。
チームは一度解散し、それぞれの学校に戻る。そして、関東ブロック代表として向かう“本国スポ”へと、ふたたび歩みを進める。
「神奈川県を相手に勝ち切れたことが、自信になりました。本国スポでも『魂のディフェンス』と、自信のあるバックスの展開力で優勝を掴みたいと思います」
経験は、確かな力へと変わる。