合同D 82-12 合同A

初めての合同チーム|合同D
かつて埼玉工業大学深谷高校として、全国高等学校ラグビーフットボール大会準優勝を果たした歴史を持つ正智深谷高校。
校名が正智深谷となってからも5度の花園出場を重ねたが、最後にその舞台を踏んだのは15年前。伝統を誇るチームは、今年初めて『合同チーム』として花園予選に挑んだ。
その現実を真正面から受け止めたのは、ナンバーエイトの小山隼紀斗選手。合同Dのゲームキャプテンを務めた小山選手は、素直な気持ちを口にする。
「入学したときは単独チーム。3年間頑張って、3年生になったら結果を残そうと思っていました。でも人が集まらず、合同になった。もちろん悲しい気持ちもあります。でも、合同には合同の良さがありました。自分たちのことだけじゃなく、相手のことも考えながらラグビーをする。その経験ができたのは大きかったです」
練習を重ねるごとに浮かび上がったのは、それぞれの高校の個性だった。
俊足の選手もいれば、力強さを武器にする選手もいる。同じサインでも誰がプレーするかによって形は変わり、選手が交替するたびに動き方を修正しなければならなかった。
固定の型が通用しないからこそ、互いを理解し、相手の特徴を踏まえた判断が求められる。
チームとしてどう戦うかを考えた経験は、単独チームでは得られなかったであろう視野を広げてくれた。
この日の対戦相手もまた、合同チームだった。
埼玉県では毎冬、部員数が15人に満たない学校を東西南北の4チームに分け、地域対抗戦を行う。その後、埼玉県代表メンバーが選抜され、関東高等学校合同チームラグビーフットボール大会へと挑む。
そのため、相手チームの中にはかつて『仲間』として肩を並べ戦った選手もいた。
小山ゲームキャプテンは言う。
「関東合同で一緒に戦った選手との対戦。お互い悔いのないよう、試合では全力でぶつかり合うけど、互いを尊重してプレーすることを心掛けました」
その言葉を象徴するように、自らがトライを決めた後には、相手チームのキャプテンでもあり、かつて埼玉県代表として共に戦った仲間に笑顔で手を伸ばした。
ラグビーが持つ、連帯力。加えて合同チームで得られた誇りが、その右手には刻まれていた。
浦和工業に1勝でも残したかった|合同A
合同Aチームのキャプテンを務めたのは、不動岡高校の青木駿選手。
3年間合同チームの一員として戦い続けた日々を振り返りると、胸を張った。
「学校を越えて出会えた仲間や文化があって、面白かった。たくさんの人に支えられました」
もちろん時には人数が集まらず、練習ままならぬ日も。それでも互いに声を掛け合いながら「ひとりが1.5人分走る気持ちで戦ってきた」という。
高校生活を捧げた、合同チーム。青木キャプテンは後輩たちに未来を託した。
「できるなら後輩たちには単独で戦ってほしいです。でも人数が集まらなければ、僕たちがやってきたように、コミュニケーションを大事にして、合同でも全力で戦い続けてほしいと願っています」
またこの日、合同Aがまとったのはオレンジ色の鮮やかなジャージーだった。
左胸には浦和工業をあらわす『浦工』の2文字が。
実は浦和工業、今年度で大宮工業高校との統合が決定している。2年前から新入生の募集を停止しているため、1・2年生はいない。
浦和工業の名前を背負って戦えるのは、この代が最後だった。
だからこの日、合同Aは浦和工業のジャージーを着た。
埼玉の高校ラグビーに携わる先生たちは迷うことなく、その伝統を最後に刻もうと、昭和41年に創部された美しき一着を試合着に選んだ。
「最後に浦和工業のジャージーを着られて本当に嬉しかった」と言ったのは、2番・黒澤大桜選手(写真下、右から2番目)。2019年のラグビーワールドカップで目にしたオールブラックスの姿に憧れ、高校から楕円球を手にした。
そんな黒澤選手が仲間に誘ったのが、20番の福山盛宇選手(写真右)。フランカーらしく、泥臭く体を張り続けた。
24番の小島祐翔選手(写真左)は、友人に誘われラグビー部に。この日は恐れることなく体を当て、ディフェンスに一役買った。
1番・吉川大翔選手(写真左から2番目)は、1年時の担任が相川了大監督だったことからラグビー部への門が開いた。
「始業式の途中に『キミ、ラグビー部入らない?』と言われて逃げられませんでした」と笑ったが、その表情には3年間ラグビーを続けた誇りが宿る。
うちわは保護者の方がサプライズで作成してくれたもの。開会式直前に手渡されたという
浦和工業高校ラグビー部の名は、この日で一区切りを迎えた。
「最後は結果を残して終わりたい、という気持ちが出てきて、今年は菅平合宿にも行ってきました。『浦和工業の名を残そう』と一心同体になって練習できたと思います。最後は1勝でも残したいという気持ちでした。負けてしまったことは悔しいけれど、2トライ取れたので嬉しいです」(黒澤選手)
60年間刻まれた誇りと、涙と、汗と。決して消えることのない、母校の名と。
トライを決めた瞬間、選手たちが抱き合って喜んだラストゲーム。
伝統のジャージーに、最後に笑顔が刻まれた。
