筑波大学
0-22。
筑波大学の練習グラウンドに設置されたスコアボードには、0と22の数字が掲げられている。
0-22。
これは8月14日、夏合宿中に明治大学と対戦した時の、前半のスコアだ。
0が筑波、22が明治。最終的には31-22で筑波が逆転勝ちを収めたが、無得点だった前半の悔しさを忘れることはなかった。
1年時から筑波の10番を務め続けて4年目。今季、チームのバイスキャプテンを務める楢本幹志朗選手は、このスコアボードについて説明する。
「月に1度、4年生で学年ミーティングをしています。夏合宿では明治戦を含め3連勝で終えることができたのですが、それでも『明治大学に勝つにはまだまだ足りない、明治大学戦に向けてもう一回気持ちを入れ直したい』と、夏の明治大学戦・前半のスコアを掲げることを決めました。練習中でも『スコアボード見よう』『22点差をひっくり返そう』と、本当に毎練習で言い合ってきました。それがチームに火をつけたかな、と思います」
0-22の悔しさを味わった日から、奇しくもちょうど1ヵ月。
筑波は対抗戦初戦で、明治を相手に前半を14-7。最終スコア28-24と、見事勝ち切った。
「BチームもCチームも、筑波全員が0-22をひっくり返そうという思いで練習に励めたことがとても良かったと思います」(高橋キャプテン)
この日のテーマは『フォーカス、自分たち』。
開幕戦ゆえの緊張やミスは避けられない。だからこそ、相手や状況に気を取られるのではなく、自分たちのラグビーを徹底しようと心に決め、挑んだ。
1ヵ月前、菅平では規律の乱れからモールでの失点を重ねたが、フェーズの中では十分に戦える手応えを得ていた。その自信が「正しく戦えば勝てる」という確信にも変わっていた。
その確信が、最も筑波らしく表れたのは、2トライ目に繋がったワンシーン。
ハーフウェー付近でのラックから、SH高橋佑太朗キャプテンが後方に控えるSO楢本選手にボールを放った直後のこと。顔を正面に戻した高橋キャプテンは、にやりと笑った。
「本当は自分が蹴ろうとしていたんです。でも、相手の15番(明治大学・古賀龍人選手)と目が合って。そうしたら右の方へ動いたんですよね」(高橋キャプテン)
スクラムハーフ・高橋キャプテンが右方向へ蹴ろうとしたら、相手のフルバックは右に動いた。すると必然的に左のスペースは空く。その空間を見つけたスタンドオフ・楢本選手が言わずとも左奥へ蹴り込み、チャンスが生まれたのだ。
「左が空くだろうな、ということは事前の分析からなんとなく分かっていました」
インプットした情報に、その場の判断力を加えて最適解を見出したハーフ団の、巧みな『ゆとり』がトライをもたらした。
劇的な逆転勝利を決めた筑波フィフティーン。
ひとしきりの歓喜に沸いた後、高橋キャプテンは落ち着いた声色で言った。
「今回勝てたことは嬉しい。嬉しい、ですけど・・・当然、というか。これまでやってきたことを、しっかり自分たちが出せて良かったなと思っています」
当然の準備を積み重ねた先に掴んだ、特大の勝利。
対抗戦では2013年以来12年ぶりとなる、明治大学からの白星を手にした。
やってきたことは間違いじゃなかった
勝利が決まった瞬間、叫んだ。
はっきりとした言葉ではない。両手で拳を握りしめ、チームメイトに抱き着いた。
楢本幹志朗選手。
随一の判断力と左足のキックで、この世代のトップランナーとして走り続けてきた司令塔が、これまでにない感情を見せた。
「久しぶりにこんなに感情が爆発したな、喜んじゃったな、と思います」
何度も叫び、喜びを全身で表した。
昨季、大学選手権への出場権を逃した筑波大学。
「僕としてもチームとしても、本当に良くない時期だった」と振り返る。グラウンドに立つ楢本選手の姿は、どこか戸惑っているようにも映った。
転機が訪れたのは、昨季終了後のこと。シーズンが早く終わったからこそ、状態の悪かった右ふくらはぎの手術に踏み切った。
復帰したのは今年6月。最上学年の春シーズンは、全て離脱した。
「昨季は『チームを勝たせなきゃ』という思いが強くて、自分に矢印を向ける機会が少なかったんです。でも手術をして、一回チームを離れることによって、前川(陽来選手)や高橋がチームを引っ張ってくれたから僕は自分のことに集中することができました」
考え得るすべてのことをした。
一から体づくりを見直した。自らに足りないところを考えたし、一方では対抗戦で通用するところも考えた。
「バイスキャプテンという立場で申し訳ないのですが、自分に矢印を向けられた期間だったなと思っています」
そうして迎えた、最後の対抗戦。その開幕戦で、楢本選手は輝きを放った。
ゲームメーカーとしての判断力しかり。50:22しかり。
プレイスキッカー役も務める楢本選手は、任されたコンバージョンゴールの全てを沈めた。この日、筑波も明治もトライ数はともに4。点差として表れたのは、2つのコンバージョンゴール成功数差だった。
「やってきたことは間違いじゃなかった、って。報われた気分になりました。本当に嬉しいです」
柔らかな笑顔と、自信を取り戻した。
2位の悔しさ。2027年へ
この日、グラウンドで強烈な存在感を放った2人の2年生がいた。
1人は、左プロップの茨木海斗選手。自陣深くで迎えた相手ボールスクラムを押し返し、ペナルティを奪った瞬間、会場全体がどよめいた。
茨木選手の胸の奥には、常に「2位」の悔しさがある。
東福岡高校時代、全国選抜で準優勝。サニックスワールドユースでは世界2位。そして冬の花園でも、桐蔭学園に屈した1月7日の記憶がある。
「2位じゃダメなんです。だからスクラムも『強い』だけじゃダメ。勝たなきゃ意味がない。『良い試合だった』じゃなくて、今日は勝たなきゃいけない、という気持ちで挑みました」
言葉通り、全身全霊でスクラムに身を投じた。
この1年で筑波のスクラムは大きく変わった。体の使い方に、落とし込む位置、沈む角度に、バインドの仕方。何より気持ちの持ち様まで。
「全部変えました」と茨木選手は断言する。実際、昨年の映像を振り返れば、今の自分とは別人のように見えるのだという。
進化した筑波のスクラムはこの日、明治の重戦車をも揺さぶった。試合中には相手からスクラムペナルティを奪う場面も生まれたが、それでも茨木選手の胸には悔しさが残った。
「良いスクラムを組めたけど、取られたペナルティの本数は相手の方が多かった。(スクラム勝負での)負けは負け。良いスクラムを組んでも、(スクラムで)勝てなかったら意味がない。もっと成長しないと」
一勝を手にした先の、成長やいかに。
「人生で一度も満足したスクラムを組んだことはありません。『ここは良かった』と思っても、いや、もう少し良くできるはず、と毎回思うんです。だからFW8人全員で『100点のスクラム』を目指したいです」(茨木選手)
もう1人の2年生は、FL中森真翔選手。
最も活躍した選手に贈られる『プレイヤー・オブ・ザ・マッチ』の称号を、自身初めて手にした。
これまでロックやナンバーエイトを務めてきた中森選手だが、今春選出されたU23日本代表でフランカーに初挑戦。以降筑波でも、自らの運動量を生かせるフランカーに定着した。
最大の武器は、その足。
タッチライン際を駆け上がるスピードはディフェンスを置き去りにし、仲間と上手く連携しながらボールを最大に生かす道筋を生み出す。
かと思えばラインアウトでは193cmの身長を生かし、マイボールをキープ。相手ボールでは脅威となり、スティールを狙った。
「将来、日本代表に入りたい。エディーさん(ジョーンズ日本代表HC)は『(日本代表入りは)バックスよりフォワードの方が難しい』とおっしゃっています。でも自分は、できるならば今年から、早い段階で2027年(のラグビーワールドカップ)を狙っていきたいと思っています。まずは今年の対抗戦でエディーさん(ジョーンズ日本代表HC)に見てもらえるよう、自分らしいプレーをしようと意識しています」
チームの勝利のため。
そして、自身の日本代表入りのため。まだ、まだまだ進化を続ける。