合同チームが単独チームを破る。川口北を支えた、8人の3年生たちのラストメッセージ|川口北 7-48 合同D|第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会埼玉県予選 2回戦

第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会 埼玉県予選が幕を開けた。

9月21日(日)には県内3会場で2回戦が行われ、12チームが勝ち進んだ。

Aシードも登場する準々決勝は、9月28日(日)に熊谷ラグビー場Cグラウンドならびに西グラウンドで行われる。

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川口北 7-48 合同D

川口北:白赤ジャージー、合同D:赤ジャージー
日が傾き始め、西日が差し始めたグラウンドで川口北と合同Dの試合が行われた。
先制トライは合同Dが決め、前半川口北を無失点に抑えれば0-31で折り返す。
古豪の正智深谷高校を中心とした編成で組まれた合同D。続く後半も正智深谷が多くを占めるバックスが主導となって試合を優位に進め、7-48で合同Dが準々決勝へと勝ち進んだ。
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よく喋り、基礎を積み上げた一勝|合同D

「正直、合同チームでここまで勝ち進むとは思っていなかった」

驚きを感じながらも、嬉しそうに語ったのは合同チームのキャプテンを務める正智深谷のNO.8小山隼紀斗選手だ。

今年から合同チームとして大会に出場し、1回戦では合同Aとの対戦を制し、この日大会2戦目を勝ち取った。

小山キャプテンは2回戦を振り返って「今日の試合はいつもより周りがよく見えていて、周りの選手に気を配って声掛けもできた」と話した。

単独チームとは違い、出場している15人全員が同じ環境で練習できているわけではない。だからこそ、派手なプレーをするのではなく、基礎を積み重ねいくプレースタイルなのだ。

小山キャプテンが合同チームとして意識していることの一つにあげたのは「よく喋ること」だ。

限られた合同練習の中で、プレーの精度は単独ほど上げることはできないかもしれない。

それでも、戦っていくためには喋る。困った時、言葉にせずとも使えるいつもの「アレ」は合同チームでは使えない。

足りないところをカバーしていくためには話していかなければならないのだ。

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チームをプレーで引っ張るのは、正智深谷のSO伊藤佑悟選手。

的確な判断力とパスとランスキルを併せ持つ伊藤選手は、川口北のディフェンスを翻弄した。

彼を主軸としたバックスの展開力が、チームを2連勝に導いた。

次戦に向け小山キャプテンは「花園予選が始まってからずっとバックスに助けられてばっかりなので、本庄第一戦に向けてフォワードも体を張っていけるようにしたい」と語った。

合同チームに関わる多くの人の期待を背負い、熊谷の地で第4シード・本庄第一高校と激突する。

8人の3年生が歩んだ道|川口北

川口北高校の節目となる第50期生として入学した3年生。

ラグビー部の半ば強引な勧誘を受け入れ、入部した新入部員は8人。うち2人はマネージャーだ。

毎年10人以上は入部させてきた川北ラグビー部にとって、6人しか選手が入らなかったことは、勧誘の失敗だと当時の主将は自分を責めていた。

そんな先輩たちの思いも知らずラグビーの世界に入り込んだ部員たち。途中、去っていく者もいたが、先輩たちの指導を一身に受け育った彼らは、仲間を1人増やし、PR青鹿蒼大選手をキャプテンとしたチームが完成した。

青鹿組スタート時は、部員数が15人に満たないチームであった。

単独チームとして公式戦に出場できるか、できないかの瀬戸際をさまよった時期もあり、今年度の春に行われた国民スポーツ大会の埼玉県予選は辞退した。

4月に新しい顧問と新1年生を迎え、晴れて15人制で戦えるようになった。しかし、部内での意見の相違から、ラグビー部の不安定さが完全に解消されないまま、最後の花園予選を迎えた。

試合はスコア通り、押される展開が多かった。しかし、いくつもの苦しい状況を経験してきた3年生は下を向いていなかった。

「川北いくぞ」

「キックオフから切り替えていこう」

「まずは一本タックル決めていこう」

1年生プレイヤーも出場している中で、前向きな言葉が出続けていた。

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試合後、3年生の全選手に、これまでのラグビー部生活を振り返ってもらった。

「まずは自分をラグビーの世界に引き入れてくれた吉田和貴先生に感謝したいです。試合には負けてしまって、今までの指導に結果で答えることはできなかったんですけど、今いる仲間と出会えたこと、苦楽を共にできたことが一番幸せです。主将として頼りない部分もあったけれど、支えてくれた親や同期、後輩たちがいたから今があると思います。ラグビーで得たものはこれからも忘れないと思います」(青鹿キャプテン)

「試合までの練習では最大限にやりきろうと意気込んでいたが、やっぱり(試合を)終わってみると、もっとやれることがあったな・・・と少し後悔しています。負けてしまったけれどここまでラグビーを続けさせてくれた親にはとても感謝していて、人数が少なかったけれどここまで一緒にやってきた仲間はかけがえのないものです」(SH小串航平選手)

「自分が1年生の時に先輩たちに聞いたラグビーのことを、3年生になって下級生に教えることができたことに成長を感じました。応援に来てくれた人がたくさんいて、ラグビーで大切な気持ちの部分でいつもより力が出せました。でも、後輩たちには悔しい思いをしてもらいたくない、だからこの思いを後輩に強く伝えていきたい」(FB王涵誠選手)

「試合結果は大敗に終わってしまったが、試合中のみんなの顔や背中を見て自分も励まされたし、改めてラグビーの良さを感じられました。朝起きたらお弁当を作ってくれたり、洗濯も手伝ってくれたりと親の支え無しでは、自分のラグビー人生は成り立ってこなかったから感謝しかないです」(NO.8小林瑠恩選手)

「最初はラグビー部には入るつもりはなかった。でも友達の勧誘もあって入部したラグビー部ではうまくいかないこともあって、辞めようかと思っていた時期もありました。でもこの仲間がいたから続けてこられたし、ここで辞めたら試合結果よりも負けた気がしてしまうと思いここまで続けられました」(LO井上柊選手)

「この6人の選手じゃなかったらこんなに強いつながりにはならなかった。今後もずっと関わっていけるという確信も持てた。(元所属していた)水泳部では無かった、良いタックルしたりゲインしたりした時に、みんなが褒めてくれる経験が原動力になって、ラグビーを続けられました」(WTB稲垣大地)

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また、選手たちと常に一緒に行動し、選手の先を読んで行動するマネージャーの存在は、日の目を見ることは少なかったかもしれない。

それでも、数ある運動部の中で『ラグビー』を選んだ2人のマネージャーは「長いようで短かった3年間でした。マネージャーにならなければ経験できなかったことが多くあり、これからの人生に生かせるものがあったと思います」と振り返った。

この試合を最後に引退した3年生は、これから受験や就職などといった壁に挑むことになる。

3年生の姿を見てきた者は、新たな目標に向けて進む彼らを心配なくラグビーコートから送り出し、いずれ再び楕円球のもとに帰ってくると信じられるはずだ。

そしてまた送り出される者も、あの時のあのプレーの感覚を忘れることなく、どこへ行っても、きっと真っすぐ進んでいける。

執筆者
宮田脩平(みやたしゅうへい)
生年月日:2005年8月8日
出身校:埼玉県立川口北高校→大東文化大学
所属:大東文化大学スポーツ大東編集部(ラグビー担当)
ラグビー歴:高校から始め、3年時には主将を務める。現役時のポジションはスタンドオフ
好きなラグビー選手:池戸 将太郎(明治→東芝)
特技:スキー
趣味:ツーリング
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