熊谷 ~終章の先に続くもの
「準備したことが全部出せた」最高の立ち上がり
「試合の入りは最高だった。準備したことも出せたし、チャレンジャーが先制するという見事な試合でした。少ないフェーズで取り切るという形もはまった」
熊谷高校・横田典之監督は、試合後のインタビューで、まずは試合序盤のゲームメイクを讃えた。

熊谷高校にとって、1990年以来35年ぶりにたどり着いた決勝戦だった。
緊張しないわけがない。だが、前半のわずか数分間で立て続けに2トライを奪い、文字通りスタンドを大きく揺らしたところから試合はスタートする。

前半3分、右サイドを突破しアドバンテージを得ると、12番・田留源太郎選手が即座にオープンサイドへキックパスを蹴り上げる。左タッチライン際で11番・小林大真選手が確実にキャッチすれば、そのまま低く飛び込み先制トライを決めた。
CTB田留選手のコンバージョンも決まり、熊谷高校が7点を先取した。
続く6分には、キックカウンターから15番・田留継ノ介選手が中盤を豪快に抜け、サポートに走り込んだ10番・野辺銀汰選手へとパス。
追加トライを奪い、開始わずか7分で14点を積み上げた。

「やってきたことが形になった」という確かな手応えが、チーム全体に広がる。
その後、昌平に2本返されて追いつかれるも、前半26分にはラインアウトから素早い展開で右サイドへと運び、14番・塚田徳真選手が右隅に勝ち越しのトライ。
14-19と、熊谷の5点リードで前半を折り返した。

変わり始めた、後半の流れ
しかし後半に入ると、状況は徐々に厳しくなった。
「後半は相手の圧力が強くなってきた。前半から“相手に乗っかられるシチュエーション”があったので嫌だなと思っていたけれど、後半はボールを持つ時間が減り、ディフェンスの時間が増えた。そこから反則が増えました」(横田監督)
接点で受ける場面が増えるほど、レフリーがペナルティアドバンテージに腕を伸ばす回数も増えていった。
「最終的には自分たちがペナルティを多くしてしまった。それが負けに繋がりました」と語ったのは、No.8鯨井蒼キャプテン。
さらに後半8分、13番・山崎康輔選手が負傷交代。「サインプレーの連携が上手くいかなくなった」(横田監督)ことも、熊谷にとっては不運となった。

後半、熊谷が奪った得点はペナルティゴールの3点のみ。
一方の昌平は、4トライに1ゴールを重ねる。
前半のうちに築いた5点のリードは、試合終了時には14点のビハインドへと転じていた。
ファイナルスコア、36-22。
熊谷は、シルバーメダルに終わった。

35年ぶりの決勝進出がもたらしたもの
「35年ぶりに決勝に来られたことは嬉しかった。でも“勝つつもりで準備してきた”から、悔しい気持ちの方が強いです」
横田監督は、複雑な胸中を隠さなかった。
だが、その言葉には誇りもにじむ。
「3年生は本当によくここまでチームを引っ張ってくれました」
今年、熊谷はリーダーを中心に“選手が自ら組み立てるチーム”へと舵を切った。
練習メニューを自分たちで作り、課題も選手同士で洗い出す。その積み重ねが、粘りと一体感を生み出した。
「粘り強さ、まとまり、リーダーシップ。それがこのチームのストロングポイントです」
横田監督は、誇らしそうに言った。

熊谷ラグビー場を包んだ圧力と熱気
誇り、といえばもう一つ。
熊谷高校ラグビー部を応援する、多くの同校卒業生、地元のファン、そして学校の仲間たちがスタンドに駆け付けたことだろう。
観客数は4,000人。その過半数を大きく超える人達が、熊谷を応援していた。
またこの日は熊谷高校として、全校応援を敢行。
800人を超す学校の仲間たちが黒衣をまとい、ピッチに立つ15人へエールを届けた。
「準決勝からの1週間、昼休みには一般生徒が応援の練習をしてくれていました。みんなが自分たちのために時間をつかってくれた。應援団がいなかったら、自分たちはいません。本当に感謝しています」
そう話す鯨井キャプテンの声は震えていた。

メインスタンドには、保護者、OB、地元ファンらが。
そしてバックスタンドには学友が。
両スタンドに挟まれるように響いた応援は、選手たちを強くした。
「本当にパワーになりました」
感謝の気持ちは、涙として溢れ出た。

「ありがとう」と「次のステージへ」
横田監督は、最後に3年生たちへの感謝の気持ちを言葉にする。
「選手自身が練習を考え組み立てるというチャレンジを始めたのは、今年の2月。これまでやったことのないことを一緒にチャレンジしてくれて、予想以上にチームも成長できた。本当にありがとうと言いたいです。私自身、指導者としても新しいフェーズに立てました」
そして1・2年生に向けては、力強いメッセージを送った。
「この悔しさを忘れないうちに動き出してほしい。来年も、最低でもここ(決勝)に戻ってこないと、花園は見えてこないので。1年間戦いが続くので、どこのシードに入るかということも大事になる。新人戦からしっかり頑張らないといけない」
その言葉を受け取った、2年生のCTB田留源太郎選手は誓った。
「負けたことに、まだ実感は湧きません。でも後半、1人ひとりが力負けしていたことは事実。フィジカルでの敗戦、その一点に尽きます。来年は痛いことをもっとやらなきゃいけないことは、間違いない」と、チームの中枢を担う覚悟を示した。

熊谷は、必ずやまた、この決勝の舞台に戻ってくることだろう。
今年見せた「最高の試合の入り」。決勝戦で知った、接点の激しさ。反則が増えた悔しさ。
そして何より、多くの声援に後押しされた、誇らしい1週間。
その全てを“次”の糧にしていくため、この悔しさは、埼玉県代表の2校へと託す。
「慶應志木とは、何回も練習試合をしてきました。負けたり勝ったりしましたが、彼らのモールには自分たちは勝てません。自信を持って花園で頑張ってほしいなと思います。昌平も、自分たちに勝ったからには。パワーに自信をつけて、頑張ってほしいです」
鯨井キャプテンは、敬意を忘れなかった。

ラストダンス
今年の熊谷を象徴する選手の1人を紹介しよう。
スクラムハーフの野村幸佑選手。
小学1年生の時に、群馬県は館林ラグビースクールでラグビーを始めた。
そう、野村選手は群馬県出身。この3年間、群馬から熊谷まで通った。
「2代上のルナ仁鼓さん(現・東洋大学2年)に憧れて熊谷高校に来ました」

生粋のスクラムハーフ。
身長167cmと小柄な身長を最大限に生かすため、「自分の取柄はそこしかない」と球捌きに生きる道を描いた。
「テンポを上げてチームに勢いを与えるため、球捌きを磨きました」
準決勝・本庄第一戦は、その手からボールが離れるタイミングで、幾度も相手ディフェンスをかわした。
初めて迎えた決勝戦でも、前半は熊谷が得意とする、だが昌平が苦手とする「外勝負」に持ち込み、トライを取り切った。だが後半は「疲れてきて、相手の強みに自分たちがぶつかっていってしまって、まともに受けてしまった」と振り返る。
強いプレッシャーを受ける中、ブレイクダウンからボールを掻き出すことも容易ではなくなった。

実は野村選手、第一線の競技生活からは、これで引退する予定だ。今後はトレーナーの道を目指し、新たな挑戦を始める。
試合終了間際。熊谷7番・加藤琉選手が足をつり交代しなければならなくなった時、真っ先に右肩を差し伸べたのが野村選手だった。
トレーナを志す者として、そして背番号を背負う者として。その矜持を体現した。
「もうちょっとラグビーを続けたいなぁ、なんて思ったりもします」と、そっと笑い、涙を浮かべる。

ラグビーに打ち込んだ12年間。熊谷で決戦の舞台に立った、ファイナリストとしての景色。
「最高でした」と残し、グラウンドを去った。
