9月13日に幕を開けた、関東大学ラグビー 対抗戦Aグループ。
11月23日(日・祝)には、秩父宮ラグビー場で早稲田大学と慶應義塾大学の伝統の一戦が行われ、49対21で早稲田大学が勝利を収めた。
得点経過
先制したのは早稲田。
前半7分、慶應義塾のスクラムペナルティからラインアウトモールを組むと、2番・清水健伸選手がグラウンディング。
12番・野中健吾キャプテンのコンバージョンゴールも成功し、早稲田が7点を先取した。

前半12分にはまたしても早稲田が自陣から仕掛ける。
15番・矢崎由高選手がゲインラインを突破すると、10番・服部亮太選手、8番・粟飯原謙選手、13番・福島秀法選手へとボールを繋ぎ、最後は左サイドで巧みなパスワークを見せればNo.8粟飯原選手がトライ。
対する慶應義塾は、その4分後に反撃に出る。
マイボールラインアウトからモールを組み、崩れた所ボールを展開。最後はラックサイドを突いたSH橋本弾介選手がラストパスを託した8番・中野誠章が、押し込んだ。14-7。

そこからは、早稲田の独壇場だった。
前半20分には5番・栗田文介選手が、27分にはモールからHO清水選手が、38分にもラインアウトからのムーブでHO清水選手がハットトリックを決めれば、前半だけで早稲田は5トライ。
早稲田35得点、慶應義塾7得点で前半を折り返した。

後半は一転、互いにディフェンス光る時間が続く。
試合が動いたのは後半20分。慶應義塾がラインアウトからモールを押し込み、崩れるも逆サイドまでボールを繋いだところ、最後は23番・石垣慎之介選手がトライ。
10番・小林祐貴選手のコンバージョンゴールも決まり、35-14。
後半27分には、慶應義塾15番・田村優太郎選手がインターセプトから独走トライを奪う。
「試合前には、4年生や試合に出られなかった人たちから手紙をもらい、『早慶戦とは想いの強い試合』だと知った」ことがエネルギーになったという田村選手。
「たくさんの方に応援に来て頂いてすごく楽しかったです」と、14点差に迫る追加点を挙げた。

しかし最後は、早稲田が引き離す。
後半31分、早稲田が10フェーズ以上を重ねると、最後は1年生スクラムハーフの川端隆馬選手が強気にトライ。
後半37分にはラインアウトモールからまたしても2番・清水選手がトライを決めれば、勝負あり。
試合終了間際、慶應義塾陣もトライライン目前まで迫ったが取り切れずノーサイド。
早稲田が49得点、慶應義塾が21得点で、早稲田大学が白星を飾った。

早稲田 ~勝負の嗅覚
102回目の早慶戦。
伝統の一戦でアカクロジャージーを掴んだのは、スクラムハーフの川端隆馬選手、1年生だった。
グラウンドに立った瞬間、胸に湧き上がったのは緊張よりも高揚感。
「ワクワクのほうが強かったです。観客も多かったし緊張もありましたけど、まずは楽しんでいこう、と自分で気持ちを上げていました」

この日はリザーブからの出場。
ピッチに入ったのは後半19分。そしてトライを決めたのは後半31分だった。
敵陣深くでの、フェーズを重ねる場面。
ブレイクダウンから球を搔き出すオーラに、川端選手らしさは宿った。
「球を出しながら相手の顔を見ていました。隙があったら、自分が(トライに)行こう、と思っていたんです。ボールを捌きながら、相手の顔をチェックしていました」
しかし、ただ「隙があったら」では、勝負所で五分の読み合いになり、結果に繋がらない可能性もある。だからこそ、途中で思考を切り替えた。
「隙があれば、だけじゃなく『強気で行ったろ』と思って。その代わり、『絶対に取り切ったろ』という思いで行きました。五分五分で勝負したら、トライにならない可能性もあるので。ああいうプレーは、ホンマに強気でいかなあかんプレーやと思っています」
隙こそあれば絶対にトライを取り切ったろ、という思いで捌くこと数フェーズ。
最後はラックサイドに飛び込み、複数の相手FWを跳ね除けながら、早稲田陣にとって後半最初のトライを決めた。
後半は2トライを慶應義塾に先行され、嫌な流れを断ち切るために必要だったトライを、1年生が強気で掴み取った。

慶應義塾 ~絆
キャプテンとして
エスコートキッズの手をひき、秩父宮ラグビー場に踏み進んだ慶應義塾大学 第126代主将・今野椋平選手は、小さく「よしっ」と声を漏らし、朗らかな表情でほほ笑んだ。
「試合前はめちゃくちゃ気持ちが高ぶってしまうタイプなんです。試合前に泣いたら、プレーが悪くなってしまった経験が高校生の時にあるので、だから『今日は絶対に泣かない』と決めていたのですが・・・ロッカールームでボロボロ涙が出てしまって(笑)」
仲間と積み上げた日々。受け継いだタイガージャージー。
そのすべてを胸に宿し、102回目の早慶戦を迎えた。
今野キャプテンが心に決めたことは、ひとつだけ。
「いつも通りのプレーをすれば、絶対に良い勝負ができると信じていました。だからこそ、気持ちを上げすぎず、普段通りの自分でプレーしようと心掛けていました」

試合は前半から大きく動いた。5つのトライを奪われ、35-7と28点のビハインド。
しかし後半は2連続トライで盛り返し、一時14点差まで迫った。
「次にトライを取ったら絶対に流れを持ってこれる自信もあった」と、ひたすらに『勝つ』という気持ちをブラさなかった慶應義塾陣。
だがその後早稲田にトライを許し、スコアは42-21。ダブルスコアがついのは、後半31分のことだった。
自陣トライゾーンで円陣を組んだ、慶應義塾フィフティーン。今野キャプテンは、迷いのない声を響かせる。
「終わりじゃないぞ」
「絶対勝とう」

その言葉に込めた思いを、今野キャプテンはこう語る。
「80分間、どんな状況になったとしても、自分は主将としてブレずにやり続けるということを心に決めていました。だからどんな点差になろうとも、絶対にトライを狙いに行く姿勢は変えたくなかった。選手たちが『勝てる』というイメージをつけて臨めるようなハドルを、日頃の練習からも意識しています。だから試合でも絶対に、80分間勝利を狙い続けたかった」
このチームが「勝てる」と信じられる言葉を選ぶこと。
仲間が前を向ける空気をつくること。
「だから試合でも最後まで勝利を狙い続けたいと思いました」

試合前日には、一本の電話が鳴った。画面に映った名前は、前主将の中山大暉氏。
「タイキさんとは幼稚園からずっと同じ学校で、スクールも一緒。自分にとっては兄みたいな存在です。『明日行くから、待っとけ。頑張れ』と言ってくれました。ちょうど部屋には1年生たちがたくさんいたので、『緊張をほぐしてください』とお願いして、電話を回して言葉を掛けてもらいました」
春、怪我で離脱した時期もあった今野キャプテン。その苦しい時間を支えてくれたのも、また中山氏だった。
「社会人になったタイキさんにご飯に連れて行ってもらって、悩みも全部聞いてくれました。それぐらい良くしてもらっているし、支えてもらっています。本当に感謝しています」
126代に渡り受け継がれる、慶應義塾の絆があった。

今年の早慶戦には、1万5千人を超える観客がつめかけ、四方を観客が埋めた。
「ほぼ満員の観客の中で試合をさせて頂けたことが、まず幸せ。声援や雰囲気を噛み締めながらプレーできたことは、自分の人生にとって財産です。でも勝つことはできなかった。まだ大学選手権でリベンジする機会はあるので、もう一回勝利に貪欲になって、大学選手権で再戦できるように頑張ります」
もう一度、勝ちにいく。

絶対に取り切らなきゃいけない
「早慶戦は、ただただ“楽しい”のひと言でした」
そう笑顔で話すのは、エディー・ジョーンズ日本代表HC肝入りの育成プログラム・JTS(ジャパン・タレント・スコッド)にも選出された経験を持つ、4年生WTB石垣慎之介選手。
「とにかく、自分が持っているものをすべて出し切ろう。それが一番でした」

6月に左股関節を負傷。復帰直後の菅平合宿では右足首に重度のねん挫を負い、8月末から2カ月強をリハビリに費やした。
復帰後も100%には戻らず、焦りが募る時期もあったという。
「復帰までの期間が本当に長かったので、なんとか早慶戦の舞台に戻ってこられてよかったです」
ピッチに立ったのは後半8分。スコアは28点差の劣勢。
そのなかで迎えた後半20分、反撃の狼煙となるトライを決めた。
「バックスが連携してきれいに崩してくれたボールを、最後に託されただけ。あそこはウイングとして絶対に取り切らなきゃいけない場面でした。チームとして形になったトライだったと思います」
感謝と責任が同居する声色で言った。

石垣選手は、今年花園初出場を掴んだ慶應志木高校出身。もちろん、4年前には主将を務めていた。
早稲田大学戦準備のため決勝戦の現地応援には行けなかったが、試合は練習後に、仲間と画面の前で見守ったという。
「めちゃくちゃ盛り上がって見ていました。僕が高校時代に一番印象に残っているのは、国体予選決勝の熊谷高校戦。その時と試合状況がすごく似ていて、『こういうこともあるんだな…』って感動しました」
現在の慶應志木高校の主将も、当時の石垣選手と同じように栃木県から新幹線通学しているという。
3年間寄り添い、見守ってきた後輩たちが掴んだ花園への切符。
「直属の後輩が頑張ってくれて、本当に嬉しいです」と喜んだ。

恥ずかしいプレーはできない
「選手入場でスタンドを見た瞬間、端まで本当にお客さんがびっしりで・・・。本当、夢、ですね。憧れの舞台、夢のようでした」
そう語るは、LO山﨑太雅選手。
大学1年生にして、タイガージャージーを身にまとい、早慶戦の舞台に立った。
「メンバー入りが決まった時は嬉しさがありました。でも、実際試合に入ってスクラムを押されてしまったことや、守る時間が長くなって自分たちのペースを掴めなかったことには、悔しさが残っています」

試合では、敵陣深くでの最初のマイボールラインアウトという重要な局面で、ジャンパーも務めた。
「自分たちのラインアウトができれば早稲田さん相手でも通用する、と自信を持って練習してきました。だから緊張はなかったです」
埼玉県立浦和高校出身。中学生まではバスケットボールに勤しんでいたため、競技歴わずか4年目で早慶戦の舞台にまでたどり着いた努力家だ。
ハレの大舞台。高校時代の同級生や先輩たちも、応援に駆けつけたという。
中には、水泳部に所属していた高校3年時のクラスメイトで、現在は東北大学に進学した友人が、手作りのうちわを持って会場まで足を運んでくれたそうだ。
「試合に出られない先輩や、OBの方々の想いが詰まった黒黄ジャージーです。袖を通すたびに身が引き締まります。あのジャージーを着る以上、恥ずかしいプレーはできない。いつもそう思っています」
これからも、ラグビーと真摯に向き合う覚悟を持った。

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