「一戦一戦、確実に成長していける集団」帝京、復活の完封劇。筑波は2人の兄が託した未来「自分が満足できるプレーをしてほしい」|第62回全国大学ラグビーフットボール選手権大会・準々決勝

第62回全国大学ラグビーフットボール選手権大会・準々決勝が12月20日(土)、東京・秩父宮ラグビー場で行われ、帝京大学が筑波大学に36-0で勝利。

帝京大学が準決勝へと駒を進めた。

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筑波大学

ファーストスクラムではペナルティを得た。

だが、それ以降のセットプレーは噛み合わず、流れは徐々に帝京へと傾いていく。

試合の主導権を握れぬまま、筑波は立て続けに3トライを献上。

前半7分にはスクラムハーフの高橋佑太朗キャプテンが負傷退場し、19分にはフッカーの前川陽来選手もピッチを後にした。

早々に4年生が相次いで戦線を離れる、想定外の展開だった。

修正の糸口を見いだせないまま、前半は0-19。後半に入ってもミスとペナルティが重なり、反撃の兆しは生まれない。

策を講じる間もなく時間だけが過ぎ、ホーンが鳴った時、スコアは0-36を示していた。

対抗戦2位で迎えた大学選手権。

10月の対戦時には18-14で勝利していた帝京を相手に、筑波は完封負けを喫した。

終わりだろうな

0-36。

数字だけを見れば、完敗である。

第62回全国大学ラグビーフットボール選手権大会・準々決勝。筑波大学は4連覇中の王者・帝京大学の前に立ち、80分を戦い抜いた末、その背中を見送ることになった。

嶋﨑達也監督は言う。

「大学選手権の帝京は違う、ということは歴史を見ても分かっていました。だからこそ、これを乗り越えようと準備してきました」

狙いの一つは、ラインアウトでのプレッシャー。だが、序盤に連続で起きたノットストレートが、その目論見を狂わせた。

「大きな誤算でした」

実は先発を務めたフッカーの前川陽来選手は、前の試合で肩を痛めており「スローイングもずっと痛がっていた」と明かしたSO楢本幹志朗選手。

出場自体が危ぶまれる状態だったという。

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さらにスクラムハーフの高橋佑太朗キャプテンも、前半早々に肘を脱臼。「肘が違う方向にいってしまっていた」状態だった。

「本当はピッチに戻りたい思いもありました。でも怪我の状態から、『もう終わりだろうな』と感じました」(高橋キャプテン)

できることをやろう。そう切り替えた高橋キャプテンは、スローガン『ROCK YOU』のもと、外からチームを鼓舞し続けた。

嶋﨑監督は言った。

「いくつかのトラブルはありましたが、それ以上に地の力で持っていかれた。及ばなかった、というのが正直な感想です」

対抗戦開幕戦で明治大学を破り、帝京にも勝利した今季の筑波。情熱とクレバーさが美しく噛み合ったチームだった。

高橋キャプテンは、悔しさを滲ませながら言葉を選ぶ。

「帝京戦に向け、下級生も、試合に出られないノンメンバーも含め、2週間積み上げてきました。最後までグラウンドに立てなかった悔しさはあります。でも、僕がいない中でも80分間戦い抜いてくれたチームメイトには感謝しています」

胸を張って帰りたい、と聖地・秩父宮ラグビー場をあとにした。

兄とは

兄とは、追われる者であり、追う者でもある。

ナンバーエイト・大町尚生選手。

1つ下の弟は、帝京大学のキャプテン・大町佳生選手だ。

兄・尚生選手は1浪を経て入学したため、2人は同時に大学4年生となった。

「弟と比べられることは、正直ずっとありました」

幼い頃から同じ道を歩み、同じ競技に身を置いてきた兄弟。だが、注目を集めてきたのは弟のほうだった。

そんな弟が率いる帝京との戦いを前に、筑波の選手たちが覚悟を記した1枚の大きな模造紙がある。

大町選手はそこに『兄とは』と綴った。

その意味を問うと、少し笑ってこう答える。

「弟のほうがバーンと注目される中で。だから『お兄ちゃんとは追うものだよ』って、分からせたかったというか」

“兄だから上”ではない競技人生。

学生生活の最後に、兄としての姿を見せたかった。

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だが、結果は完封負け。

「帝京は、対抗戦の時より明らかにレベルが上がっていました。徹底度が、比べものにならないくらい高かった。悔しいですけど、しっかり負けた、という感じです」と兄・尚生選手は言った。

自身の幕が下りた今、歩みたかった道を進む弟に、エールを送る。

「弟はこれからもキャリアが続いていきます。負けるって、すごく大きいし悔しい。その思いは、できれば味わってほしくないな、って。僕らに勝ったなら、優勝してほしいです」

「僕は弟のファン、というか・・・プレーを見るのが好き。だから弟には自分らしく、自分が満足できるプレーをしてほしいです」

兄とは。弟の活躍を願える存在である。

みんなと試合がしたかった

フランカー・茨木颯選手。

今年10月11日の早稲田大学戦で、右膝を負傷した。

それまでの対抗戦は、1年時から4年生の今季まで、全試合に出場。ラストイヤーでの負傷は、あまりにも悔しいものだった。

それでも「1試合でも早く、みんなと試合がしたかった」と、懸命にリハビリに向き合い続ける。対抗戦最終節、青山学院大学戦で見事復帰を果たした。

しかしその最中、祖父が他界した。

「復帰する前に亡くなってしまって・・・」

自分が戦う姿を見せたかった、と言葉を探しながら涙をこぼした茨木選手。この一戦に懸けていた想いが、静かに溢れ出る。

「今日は、いい姿をおじいちゃんに見せられなかったので、めちゃくちゃ悔しいです」

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弟は、同チームのプロップ・茨木海斗選手。

同じピッチに立った、最後の80分間。

「みんなが(大学選手権出場を)勝ち取ってくれたから、2人で試合ができました」

弟とともに、天国の祖父に勇姿を届けた。

10番が見つめた、終わりの景色

4年間、筑波大学の10番を務め続けたのは楢本幹志朗選手。

試合中の心の中を、ゆっくりと振り返る。

「本当に、考えもよらなかった不測の事態が序盤に起きて。何とかしなきゃ、という思いでした。80分間があっという間。もどかしい気持ちがずっとありました」

「タラレバじゃないですけど『これが(SH高橋)佑太朗だったら』とか。万全の状態の(HO前川)陽来だったら、とか。今思えば、いろいろあります。でもそれも含めて、僕の学生ラグビーかな、と思います」

言葉にするのがすごく難しいですね、と途中で挟んだ。

帝京を相手に、2度勝つことは難しいと分かっていた。だからこそこの2週間、チームも自身も、良い準備をした。

試合前には「めちゃくちゃ」自信もあった。だが「だんだん、それが崩れていく感覚」も試合中に味わった。

高校最後の花園でのゲームに、少し似た感覚だったという。

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それでも4年前とは違ったのは、「独りよがりにならなかったこと」にある。

「周りを頼って、鼓舞しながらできたこと。それが4年間で一番成長できたところだと思います。成長させてくれた筑波に感謝しています」

そう言って、楢本選手の学生ラグビー生活は、静かに幕を下ろした。

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