歓声の渦の中にいても、すぐに言葉が出てこない瞬間がある。
喜びがないわけではない。ただ、胸の奥に溜まっていたものが、そう簡単には言葉にならなかった。
「・・・ほんまに、やりきった」
副将・楠田知己選手がマスクの奥から絞り出したその声は、静かで、それでいて深く胸に残った。

2026年1月11日。明治大学は早稲田大学を22対10で破り、7季ぶりとなる日本一に輝いた。
「なぜ、明治は勝てたのか」
この試合を目撃した人の数だけ、その問いへの答えはあるだろう。
なぜ明治は、今季最高のパフォーマンスを、決勝という舞台で発揮できたのか。
いくつかの言葉と、いくつかの表情。対抗戦初戦で筑波大学に敗れたあの日から続いた今季の歩みの中で、それでも変わらなかったものを辿っていく。
敗戦の記憶
楠田バイスキャプテンは言う。
この4年間は、1年時の新人早明戦から始まっている、と。
「新人早明戦で早稲田に負けたことは、4年間ずっと、同期の中で話題に出続けてきました」


2022年5月。新人早明戦で、16年ぶりに敗れた。
多くの高校日本代表候補を擁していた明治大学だったが、シンプル且つ統一された早稲田のラグビーに後手を踏んだ。
忘れようと思えば、忘れられた記憶。新しい試合も、新しい悔しさも、いくらでもあった。
それでも、あの敗戦だけは胸の外に置くことはなかった。
同期で集まるたび、自然と話題に上る。早稲田大学と対戦する前には、必ず口にした。
「あの時の借りを返そう」「この1年間、絶対に早稲田との試合は全部勝とう」
気合いでも、檄でもない。
自分たちに言い訳を許さないための、約束だった。
だから楠田バイスキャプテンは、こう言い切る。
「この1年間、1試合1試合に絶対に負けないっていうマインドは、あの新人早明戦の負けから来ていると思います」
今季の春季大会では45対12。対抗戦では25対19。
すべての早稲田大学との公式戦(ジュニア選手権を除く)で、明治大学は勝利を収めた。

だからこそ、口をついて出た「ほんまに、やりきった」という言葉。
「この4年間で、準備量も明らかに増えました。そういう意味でも、自分たちは成長したと思う。勝つ意志を、プレー以外の部分でも示せたと思います」
優勝の瞬間、胸に去来したのは、爆発的な歓喜よりも安堵だった。
4年間抱え続けてきたものに、ようやく「終わり」を与えられた。そんな表情だった。

ノーサイドの笛が鳴り、平キャプテンのもとに真っ先に向かったのが楠田バイスキャプテンだった
飾らず、真っ直ぐ
主将・平翔太は、雄弁なキャプテンではない。
だがPR富田陸選手は、そこにこそ意味があったと言う。
「言葉遣いが上手いわけじゃない。でも、思ったことを変に飾らず、真っ直ぐ正面から言ってくれる」
遠回しに伝えない。角を取らない。逃げ道を作らない。
だから平キャプテンの言葉を、誰も「本気じゃない」と受け取ることはなかった。

もちろん、シャイな性格ゆえ、最初から言葉を投げ続けられたわけではない。
「僕たちも翔太をサポートしましたし、翔太自身も大きなプレッシャーの中でキャプテン像を体現してくれた。いつも正面から言ってくれたからこそ、最後に日本一になれたんだと思います。翔太がキャプテンで良かったです」

なかでも平キャプテンが変えなかったのは、向き合い続ける姿勢だった。
プレーでも、私生活でも、誰よりもストイックであろうとした。勝つために振る舞うのではなく、勝つための日常を、淡々と積み重ねた。
楠田バイスキャプテンは言う。
「平は、背中で引っ張る人でした」
4年生も、下級生も、その背中を毎日見てきた。それがこのチームの基準になった。

貫いたスクラム
決勝のスクラムは、重かった。そして最後まで崩れなかった。
怪我から復帰し、決勝のピッチに立った4年生PR・富田陸選手は、相手の強さを誰よりも理解していた。
「今季、自分は春も秋も早稲田と戦っていなかったので、ビデオを見て準備はしていました。でも実際に組んでみると、やっぱり相手は強かったです」

それでも、迷いはなかった。
「明治が一番大切にしてきた『スクエア』を、最後まで貫き通せたと思います」
正対すること。それは、新しく身につけた武器ではない。
迷ったとき、必ず立ち戻ってきた場所。
怪我で試合に出られなかった時間も、その“戻る場所”が富田選手の中から消えることはなかった。
戻る場所を失わなかったことが、揺らがなかった理由だった。

「下級生の支えが、自分の中ではすごく大きかった。自分一人ではラグビーはできません。メンバー外の選手、コーチ陣、マネージャーも含めて、一つに繋がれたことが優勝に繋がったと思います」(富田選手)
変えなければならなかったもの
今季の明治を語るとき、慶應義塾大学戦は必ず「転機」として語られる。
だが、選手たちが強く覚えているのは、試合そのものではない。そのあとに流れた時間だ。
司令塔・伊藤龍之介選手は振り返る。
「正直、あの試合までは、話し合いが足りていなかったと思います」
接戦にもつれ込んだ慶應義塾大学戦後。チームは、ミーティング時間を増やした。
寮の部屋で趣味に興じるのではなく、ラグビーを考え、見る時間を各々が増やす。
楠田バイスキャプテンも言う。
「この1年で、準備量は明らかに増えました。4年生だけじゃなくて、下級生にも引っ張ってくれる選手がたくさんいて。縦の繋がりは、めちゃくちゃ強かったです」

大きく増えた、ラグビーと向き合う時間。
「その結果、試合中に想定外のことが、ほとんど起きなくなりました」(伊藤選手)
準備が揃えば、心も揃った。

アタック時には「3フェーズ攻めてあまりゲインがとれなかったらキックを蹴ろう」と意思統一。攻守ともに司令塔としてゲームとチームをコントロールした
頑張れ。任せるわ
このチームの完成度は、1年生の言葉からもうかがい知ることができる。
ルーキーながら決勝戦で唯一先発出場した古賀龍人選手は、プレッシャーについてこう語った。
「学年は関係なく、任せられた以上は、やるべきことをやるだけです」
おそらくフルバックでの先発になるだろう、と高野彬夫ヘッドコーチから告げられたのは試合5日前の火曜日のことだった。

初めて迎えた大学選手権決勝。
校歌斉唱を歌い終わると、リザーブ登録の3年生、竹之下仁吾選手が声を掛けてくれた。
「頑張れ。任せるわ」
その一言が、自信になった。

この日、明治はボムスコッドと呼ばれる編成で臨んだ。
控えフォワード6人、バックス2人。
それを成立させたのは、選手1人ひとりのポリバレント性、つまりは、1人が複数の役割やポジションを高いレベルでこなせる能力だった。
21番を背負った萩井耀司選手はスタンドオフが本職だが、スクラムハーフの練習も今季本格化させ、必要があれば役割を変えた。
リザーブを投入した後半終盤には、バックスのポジションが次々と入れ替わる。
萩井選手がスタンドオフに入り、先発スタンドオフだった伊藤龍之介選手がインサイドセンターに。平キャプテンが13番にまわり、東海隼選手が11番を務めた。
それでも秩序は崩れなかった。
古賀選手は言う。
試合中、向けていた矢印は外ではないと。
「相手がどうとかじゃなくて、自分に矢印を向けていました。自分ができる最大限のパフォーマンスを出すことだけを意識して」
そして、守り続けたルールがある。
「練習でやってないことは、やらない」
背伸びをせず、積み上げてきたものを信じる。練習と本番を、変えなかった。

変えてはならないもの
日本一を掴むまでに、明治大学が変えたこともある。だが、変えてはならぬものを、変えることはなかった。
新人早明戦に敗れた記憶。
純度の高い、主将の言葉。
だから楠田バイスキャプテンの「ほんまに、やりきった」は、勝利の喜びよりも、過ごしてきた時間への答えのように響いた。
のぼりつめた日本一。
変わらずに在り続けた先に、辿り着いた頂だった。

