「弱い」と言われた代が刻んだ、必然の3連覇。桐蔭学園60期、覚悟の全国制覇

第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会。冬の花園で頂点に立ったのは、桐蔭学園高等学校だった。

これで同校史上初となる大会3連覇。言葉だけを切り取れば、圧倒的な強さで駆け抜けた3年間のように聞こえるかもしれない。だが、今季の歩みは決して順風満帆ではなかった。いくつもの敗戦を経験し、新チーム発足当初には「今年の代は弱い」とも評されていた。

それでも彼らは、なぜ頂点までたどり着くことができたのか。

この3連覇は偶然だったのか。それとも、必然だったのか。決勝戦の内容から紐解いていく。

手負いの主将が背負った覚悟

チームを率いたのは、フッカーの堂薗尚悟キャプテン。だが決勝を目前に、最大の試練が襲う。

準決勝で肩を脱臼。人生初の脱臼だった。

試合前日はチーム練習に参加できず、安静を余儀なくされる。決勝に出場できるかどうかすらも分からない状態だった。

試合当日の朝、ようやく腕が上がるようになれば、ピッチに立つことが認められた。しかし状態は万全とは程遠く、ラインアウトのスローイングはできない。途中交代の可能性も十分にあった。

それでも、堂薗キャプテンは迷わなかった。

覚悟を決定づけたのは、試合前に兄からかけられた言葉だった。

ラグビーを始めるきっかけをくれ、桐蔭学園という進路を示してくれた存在。その兄から、一言告げられた。

「肩が壊れるまでやれ」

優しい励ましではない。だが勝負の厳しさと、兄が成し遂げられなかった優勝への思いが込められた言葉で、覚悟は決まった。

「もう最後なので、肩が壊れるまでやろうと思いました」

高校ラグビーの集大成に、すべてを懸けた。

試合前夜、堂薗キャプテンが仲間に伝えたことがある。

「俺がいない想定をしてほしい。Bチーム(リザーブメンバー)は、本当に腹を括って試合ができるか」

「出られたとしても、多分前半もたないから頼む」

決して弱音ではない。現実を共有し、それでも勝てる集団であるかを問いかける主将の言葉だった。

藤原秀之監督は振り返る。

「春先は正直、(堂薗キャプテンが)何を言っているのか分からない状態でした。でも、キャプテンという立場がここまで人を成長させるのだと感じました」

責任を背負ったとき、人は大きくなる。堂薗キャプテンは、そのことを体現した。

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託された者たちの覚悟

堂薗キャプテンの問いに真っ直ぐ応えたのが、控えフッカーの木俣蒼司郎選手。2年生だった。

「いや、俺はいけます」

迷いのない言葉を発した。

かつてはチームミーティングでも発言できなかったという木俣選手だが、挑戦を重ねる中で自分の考えを持てるようになったという。精神的な殻を破り、自律した存在へと変わりつつあった。

「次は、自分が頼られる3年生になりたいです」

その言葉に、チームを、そして文化を継承する覚悟をのぞかせた。

そしてラインアウトでのスローイングを担ったのは、プロップの田邊隼翔選手。中学時代はフッカーだった経験を活かし、花園前には「スローイングだけは少し練習しておこう」と、いつ出番が来てもいいように準備を継続していたのだ。

その地道な備えが、決勝戦という大舞台で見事に実を結ぶ。

堂薗キャプテンに「多分俺よりめちゃくちゃうまかった。本当にそこは感謝しかない」と言わしめる完璧なスローイングで、チームのピンチを救った。

昨季は登録メンバーに入りながらも、試合に出られなかった悔しさを胸に秘めていた田邊選手。

「今年1年間掲げてきた『氣』というスローガンを出し切る」と熱いパッションを持って試合に臨めば、いくつものボールキャリーに強烈なタックル。プレイヤー・オブ・ザ・マッチ級の活躍で、試合をつくった。

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それぞれの強さが、試合を動かした

この決勝で際立っていたのは、誰か一人の突出した才能ではない。

それぞれが役割を理解し、自分の弱さと向き合い、自分にしか持ちえない強さを磨き続けてきたことだった。

背番号10の竹山史人選手は、試合の流れを読む司令塔だった。前半は京都成章の堅い守りの前に攻め手を見いだせない。それでも無理に仕掛けようとはしなかった。

「前半は我慢の時間だと思っていました」

フォワードが体を張り続ける時間帯。その先に訪れる瞬間を信じて待った。そして後半、スペースが開いたと感じた瞬間、迷わず前に出た。

「前が開く感覚がありました。そこで積極的にいきました」

後半最初のトライは、耐え抜いた先に引き寄せた“狙い通り”の一手だった。

そのトライを決めたのが、ナンバーエイトの足立佳樹選手だ。

歴代の先輩たちのように力でねじ伏せるタイプではなく、コンタクトのずらし方やスペースへの運び方で勝負する選手だった。

それでも彼は、自分のスタイルに安住しなかった。

「足をもう一歩前に出すことを意識しました」

真っ向勝負の弱さと向き合い続けた積み重ねが、決勝の舞台で結実する。相手を押し込むボールキャリーで流れを呼び込んだ。

そしてフランカーの長尾峻選手。

準決勝後、「自分だけ何もできなかった」と悔しさを口にする。だからこそ決勝戦では、原点に立ち返った。

「まずはタックルをしようと思いました」

泥臭く走り、泥臭く体を当てる。その先に転がってきたこぼれ球を拾い、トライを奪った。試合の流れを決定づける3本目のトライだった。

宮城県出身の長尾選手は、東京都の祖父母宅から高校に通った。毎日食事を作り、お弁当を持たせてくれたいたのは、大好きな祖母。

準決勝後、祖母から届いたメッセージがある。

「生きていてよかった」

勝利を届けられてよかった、と破顔した。

「おばあちゃんには、本当に感謝しかありません」

その思いが、決勝のトライへ導いた。

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「弱い」と言われた代が証明したもの

3連覇は偶然か。それとも必然か。

おそらく、そのどちらも正しいのだろう。

しかし偶然を必然へと変える準備があったこと。1年間の積み重ねがあり、さらに言えば3年間の歩みがあったことには間違いがない。

藤原監督は言う。

「彼らがこんな歴史を作るとは思いませんでした」

その率直な驚きの裏には、選手たちの成長を見届けた誇りがあった。

歴史は、才能だけでは生まれない。

組織としての力。覚悟。そして互いを思い合う心。

そのすべてが重なったとき、はじめて頂点にたどりつく。

「弱い」と言われた桐蔭学園60期は、その証明を花園の芝生に刻み込んだ。

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