Side Story ~読谷高校~
4年前の全国高等学校ラグビーフットボール大会。父である島袋監督と息子の島袋世良キャプテンは、初めて花園の地を訪れた。
そこで目にしたのは、当時初出場だった昌平高校。
どんな運命か、自らの初出場時にその昌平高校と1回戦で対戦することとなった。
「初出場の勢いが凄かった。一時は(負けを)覚悟した」と話すのは、対戦相手の監督。
敵将から贈られた最大級の賛辞通り、読谷初めての花園は試合序盤から会場の雰囲気を掌握した。
この日は出来るだけ蹴らず、ポゼッションの確保を優先するゲームプラン。
ただ、空いたスペースを見つければすぐに得意の3Dラグビーへ持ち込んだ。
前半16分、12番・松尾息吹選手が見せた50:22のキックは、その最たるものだった。
FW戦で先制トライを奪うと喜びを爆発させた。昨年の花園予選決勝で敗れてから、シチュエーションを想定した練習を繰り返したことが効いた
松尾選手は試合中、仲間の背中に何度も手を置く。
「みんなの焦りを感じていた。自分は全然焦っていなかったので、落ち着かせるためにコミュニケーションを意識的に多く取っていました。」
相手が痛むと駆け寄り、相手の好キックには「うまっ」と素直に声を上げる読谷フィフティーン。
素直さがそのまま表れたラグビーからは、読谷村中の大きな愛を一身に受けてきたことが伝わる。
しかしここは、全国の舞台。緊張からか、いつもと違うプレーをする選手もいた。
「前半は入りの勢いでカバー出来ていたが、後半は昌平高校さんの緊張も解れてきて、良いディフェンスをされていた。そこでミスが増えた」と島袋キャプテンは言う。
「自分たちの理想としては、ゲインを切ってからテンポを上げ、FWを織り交ぜながらトライを取り切ること。ただ締め括りの部分でミスも増え、得点に繋がらなかった。」
春からは親元を離れ、東京の大学でラグビーを続ける
読谷が誇る10番ー12番ー15番の黄金ラインでゲインは切れていた。
全国の舞台で、通用したこともたくさんあった。
それでも、1勝は遠かった。
「小学生の頃からTVで見ていた、憧れの舞台。小・中学生の頃には合同チームを経験したこともあった。それが今では、ジャージを貰えない人もいる。そういう意味で、村の中で地元の子たちでラグビーが出来て、1年間やり切れたことは幸せなことだと感じます。(島袋キャプテン)」
松尾選手も続ける。
「正直、まだ実感がわかなくて『本当に負けたのかな?』っていう感覚。ただ、今までやってきたことは無駄じゃなかった。ラグビーやってきて良かったな、って。今のメンバーでラグビーやってきて良かったな、って思いました。」
この日が大学の合格発表だった松尾息吹選手。沖縄県内の大学でラグビーを続ける
「一番は、ありがとう。小・中・高と同じ進路で一緒に頑張ってくれて、ありがとうございました、と伝えたいです。」
共に戦ってきた仲間へのメッセ―ジを求められると、島袋キャプテンは優しい目で、温かく紡いだ。
「来年、楽しみにしていてください。もっと強くなります。(松尾選手)」
託された2年生・山原穏聖選手は、3年生のラグビーを終わらせてしまった、という責任感から涙が止まらなかった。
「絶対にまた花園に連れていくので、3年生たちには来年、応援に来て欲しいです。」
セブンズユースアカデミーにも選ばれている山原選手。「花園2勝を目標に掲げていたが、初戦敗退。全然目標を達成できなかった。来年もまた、花園2勝を目標に掲げて頑張りたい。」
人とボールが動く読谷ラグビー。
初めての花園で、多くの人々を魅了した。
沖縄から応援に駆け付けた保護者らと、戦ったグラウンドに対し、大きな声で感謝を述べると揃って頭を下げた
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