京都産業大学2年、村田大和選手。
同校最激戦区、スクラムハーフを本職とする。
日本代表候補合宿にも呼ばれている土永旭選手(4年生)を筆頭に、JAPAN XV(ジャパン・フィフティーン)として4年ぶりのパシフィック・チャレンジ優勝に貢献した髙木城治選手(2年生)ら桜のジャージーに近い選手が、昨季は京都産業大学Aチームでの出場を続けた。
ゆえに自身は大学での公式戦出場経験を有さないが、U20日本代表候補としてのニュージーランド遠征メンバー入りを果たす。
「試合に出ていない中でも、今回このように選んでいただいた。大学選手権優勝、準優勝チームでプレーする選手たちも(候補選手には)たくさんいます。自分自身、もっともっとレベルアップできるチャンスが来たんじゃないかな、と思っています」
高校時代は、1年次から全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。
報徳学園高校で過ごした3年間、花園での全てのゲームで背番号9を背負った。
試合に出られない環境を、これまで経験したことがなかった。
大学での1シーズン目を終えた2024年のはじめ、村田選手は母校・報徳学園高校に戻った。
モチベーションの維持に苦労していた時期。
そこで報徳学園高校・泉光太郎ヘッドコーチに掛けられた言葉が、胸に響く。
「おまえにとって、良いチャンスやと思う。腐らずコツコツやり続けたらいい」
その一言が、大きな支えとなった。
「チームで一番の元気印でいたいです」
京都産業大学に戻ると、先輩たちを見て学んだ。
リリースポイントや足の蹴り上げ方のヒントを、土永選手が呟く言葉から拾い上げたという。
「日本を代表するような選手が、毎日一緒にいます」
だからこそ、スピードもフィジカルも。フィットネスにキック力だって、大きくレベルアップした。
土永旭に、髙木城治。
2人が同じ大学にいるからこそ、成長できることがあった。
中学生の頃は「正直、(髙木選手に)憧れていました」とはにかむ
U20日本代表候補合宿中、大久保直弥ヘッドコーチに言われた言葉がある。
「あの2人を抜かしたら、見えるところはジャパンだぞ」
投げかけられたパワーワードに、心は決まった。
「だいぶ大きな壁。でも逆にチャンスですよね」
だから、その一歩目として。
「まずは、一度も勝ったことのない(同級生の髙木)城治を超えたい」と、真っ直ぐに宣言した。
1学年下の井上達木選手もU20日本代表候補合宿に参加した。下からの激しい突き上げにも「盗めるものは盗みたい。負けるつもりは全くないです」
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さかのぼること4年半。時は、2019年12月29日。
中学3年生だった村田選手は大阪府スクール代表として、髙木選手は福岡県代表として、全国ジュニア・ラグビーフットボール大会 第1ブロック決勝戦の先発スクラムハーフを務めた。
5-14で福岡県代表が栄冠を手にした一戦を終えると、短く言葉を交わす。
「ふたりでいつか、一緒に日本代表になろう」
そう声を掛けたのは、村田選手。
「なれるやろ」
髙木選手は、力強く返した。
2024年5月。
『ふたりでいつか』の”初めて”が、ニュージーランドで訪れる。