桐蔭学園、2年連続ファイナルへ。國學院栃木との激闘を制した準備力。國學院栃木は「だらしない試合は1つもなかった。胸張って帰ります」|第104回全国高等学校ラグビーフットボール大会

國學院栃木

「ファースト」と銘打った試合序盤の先制パンチは、計画通りだった。

「計画通り、ミーティング通りにいけば良い流れがくると分かっていた」と話したのは、スタンドオフ・神尾樹凛選手。

全員が認識を合わせ、グラウンドに立てば、素晴らしい立ち上がりを見せた。

前半7分のトライに32分のトライは、まさしく「計画通り」。

「準備してきたプレーとサイン、ハイパントもうまくいった」と2年生エースの福田恒秀道選手は振り返った。

守ってはコクトチのDNAであるディフェンスで対抗した。

「この1年間、ブレイクダウンを意識して練習を重ねてきました。ラックだったり、ボールをきちんとスクラムハーフに供給することだったり。基礎に立ち返った練習をしてきた」(神尾選手)という『紺の血』も炸裂した。

だが、後半足が動かなくなってきた時に「桐蔭さんの寄りの早さに圧倒されてしまった」(神尾選手)、「焦りから自分たちがやってきたことを貫けなかった」(福田選手)と悔やむ。

後半7分、桐蔭学園9番・後藤快斗選手にラックサイドを走られ、トライを奪われた。

「スタンドオフの丹羽選手がキーマン。だから彼が動いた方に自分たちも動く、という形を取っていたんです。丹羽くんのダミー、(フルバック)古賀くんのダミーに引っかかってしまって、ラック際が空いてしまいました」(神尾選手)

もちろん後藤選手のラック際の巧みを十分理解はしていたが、今大会の丹羽選手の活躍に意識が傾くと、どうしても手薄になる局面は生まれた。

「桐蔭学園さんは全員がキーマン。悔しいです」(神尾選手)

準備していたこと、その上を越えられてしまった。

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チームを率いる吉岡肇監督は言った。

「後半、必ず敵陣でのラインアウトがある。その時はモールで必ずスコアするんだと。『人生懸けてモールを押せ』と、ハーフタイムにはそれだけを伝えました」

モールには絶対の自信があった國學院栃木。

人生を懸けたモールを、組ませてやりたかった。

だが「そういうチャンスがなかった。桐蔭は反則をしないんです。あれだけの攻防の中で、反則をしない。そこが強さですね」

名将は舌を巻いた。

この日の被トライ数は3。

桐蔭学園を今大会最も少ないトライ数に抑えたことは、疑いようのない事実として残る。

「会場を沸かせました。期待に応えるとは、勝つことだけじゃない。良い試合をする、ということも期待に応えることの一つです。花園での4試合、期待に応えたと思います。だらしない試合はなかった。胸張って帰ります」(吉岡監督)

関東新人大会チャンピオンから始まった、チーム笹本。

胸を張って、栃木に帰る。

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こんな最高のチームに出会えて良かった

試合を終えると、4番・笹本直希キャプテンは大粒の涙を溢れさせながら言った。

「コクトチに来てよかった。こんな最高のチームに出会えて良かった。結果的に負けてしまいましたが、自分は、自分の仲間が日本で一番最高の仲間だと思っています」

中学校から國學院栃木に通った笹本キャプテン。

6年間吉岡肇監督のもとで学び、ラグビーに打ち込んだ。

だから笹本キャプテンにとって吉岡監督とは、師匠であり恩師。

そして同じ屋根の下で暮らす、親代わりでもある。

「恩を感じています。決勝に行って優勝して、恩返ししたかった。結果を残せなくてすみません、と言いたいんですけど、多分謝ったら怒られると思うので。今までの感謝をしっかりと伝えたいです」

國學院栃木で6年間を過ごした一番の理由である、吉岡監督へ。最後に伝えたい言葉はやはり、コクトチのキャプテンらしいものだった。

吉岡監督も、愛情たっぷりに返した。

「笹本には『ご苦労さん』です。最後はインフルエンザとの戦いでしたが、キャプテンという重圧がありながらも彼がネジを締めてきたんです。だからここで一旦、解放してやりたいな、と」

花園に入り一層、表情と言葉が引き締まった笹本キャプテン。

監督が「解放してやりたい」というほど、自らを律してきたキャプテン。

6年間の國學院栃木生活に、終わりを迎えた。

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10番として、勝ちにこだわるラグビーを

「丹羽くん、すごいです」

涙を流すことなくライバルを讃えたのは、SO神尾樹凛選手。國學院栃木の10番を、2年間背負った。

神尾選手が入学した時、國學院栃木には絶対的スタンドオフ・伊藤龍之介選手(現・明治大学2年)がいた。

1年時にはBチームのスタンドオフを務めながら、時にはAチームのウイングなども経験し、その姿を追いながら國學院栃木の10番へと成長していった神尾選手。

「龍之介さんの次に10番をもらった時には、自分が背負えるのかと思ったこともありました。でもずっと龍之介さんを見てきたので。どうチームを引っ張っていくのか、チームの引っ張り方や動かし方を見習って、良い形で3年間ラグビーができました」

3年生になってからは肩の怪我に苦しみ、タイミングを計りながら手術を受け、ようやくの復帰は11月。

ラストゲームとなったこの日、自らが飛び込んだキックチャージで敵陣5mスクラムを獲得すれば、逆転の2トライ目を演出した。

間違いなくやりきった。それでも「勝てなかったことに変わりはない。成長はできましたが、結果が伴わなかった。最後、桐蔭学園さんに負けてしまったことが後悔。もうちょっと準備ができたかな、って」。

ただ、悔しさだけを滲ませた。

卒業後は、憧れの『龍之介さん』と同じ進路を辿る。

「めちゃくちゃ濃い3年間でした。これからも勝ちにこだわるラグビーをしたいです」

國學院栃木の10番に、別れを告げた。

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継承者

國學院栃木のエースは、2年生の福田恒秀道選手(12番)。

「自分の良さをうまく出せなかった。コクトチの良さも出せなかった」と口にした。

準決勝、自らのランでゲインラインを突破する場面はあった。

だが相手のディフェンスに阻まれ、トライまでは持ち込めず。悔しさを滲ませる。

「このチームは、関東新人大会の頃から一つになってやってきました。リーダーたちがしっかりと引っ張っていく姿を見せてくれました。来年は自分がリーダーの立ち位置に就くと思う。今年のチームワークを見習って、國學院栃木を引き継ぎたいです」

託されたバトンを、しっかりと受け取った。

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