慶應志木
作戦名は『浅野優心』。
そう言ってしまっても語弊はないほど、このチームには“絶対的なプレイヤー”がいる。

3年生の浅野優心キャプテン。
ポジションは、ユーティリティバックスだ。
慶應志木に入学した2年前の春。入学からわずか1か月で、黒黄の10番を背負った。
その後はセンターにフルバック、時にスクラムハーフ。どこに立っても”浅野優心”が機能する。
そして迎えた3年生の秋。花園予選では、インサイドセンターを務める。

だが、この日の準決勝・熊谷工業戦で、浅野キャプテンはモールトライを決めた。
もう一度言おう。
ポジションはインサイドセンター、しかしモールトライを決めた。
やはり、彼のポジション名は「浅野優心」と呼ぶほうが正確かもしれない。そのうちラインアウトでジャンパーを務めはじめても、誰も驚かないだろう。
モールに本格的に加わるようになったのは、今秋から。
役目は「モールの後ろについて、横を見る」こと。モールが進めばグラウンディング、停滞すれば最善の判断を下す。
モールからボールを持ち出せば、高校生離れしたスピードとパワーで前進することがほぼ確約されている。
だから、ボールの近くにはいつも浅野キャプテンがいる。

「グラウンドの中にコーチがいるようなもの」
「精神年齢40歳」
竹井章部長をはじめ、関係者が口を揃える言葉だ。
高校生の枠を超えた思考力と存在感。だが、決して威張ることはない。

チーム慶應義塾の力で初の花園へ
慶應志木は、慶應義塾大学の胸を借り、毎週のように合同練習を重ねている。
「コンタクトレベルもスピード感も、全然違います。最初は全くついていけなかったですが、少しずつ自分たちの形を見つけて、遂行できるようになりました」と浅野キャプテン。
接点に強くなり、ひいてはスクラムハーフからの球出しも大きな成長を遂げた。

支える“チーム慶應志木”の輪は、それだけに留まらない。
ラインアウトの分析と対策を担うのは、浅野キャプテンの父・浅野良太氏(元日本代表/NECグリーンロケッツ東葛・経営企画チームリーダー)。
ほかにもトップリーグで活躍した元日本代表選手たちやOBらがサポートし、現役生の背中を押す。
竹井部長は言う。
「この1週間で、まるで違うチームになりました。みんな“やること”を決めたんだと思います。たとえば、セカンドタックルに思い切り行くとか、すぐにセットするとか。躊躇せず、徹底できるようになりました」
準決勝の数日前に慶應義塾大学と合同練習を行った際、大学の青貫浩之監督も「志木の進化に驚いた」と目を見張ったという。

熊谷工業との準決勝を制し、1964年以来61年ぶりとなる決勝進出を果たした慶應志木。
目指すは、ただひとつ。初の埼玉チャンピオン、初の花園出場だ。
「決勝戦までの1週間は、とにかくディフェンス。さらにキツいことをやる」と竹井部長。
浅野キャプテンも最後に、こう誓った。
「入学した時から試合に出させていただいてきました。目標にしていた『志木で初めて花園に行く』というところまで、ようやくあと一歩です。
この1週間、できることをやり尽くしたい。このチームで戦えてここまで来られたことが嬉しいですし、胸を貸してくれた慶應義塾大学の皆さんにも恩を返すために、3年間やってきたことを最後の決勝で出し切って、花園まで行きたいと思います」
いざ、61年ぶりの決勝戦へと向かう。


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