慶應志木 ~開いた扉
「やっとだな、って」
40年にわたりチームを見守り続けてきた竹井章部長は、初優勝を果たすと、こみ上げる涙をそっとハンカチで拭った。

日本ラグビーのルーツ校である慶應義塾大学の系譜を継ぐ、慶應義塾志木高等学校。
埼玉県内でも最難関の進学校として知られ、多くの著名人を政財界に送り出してきた。
同校ラグビー部は、1958年に創部。正式名称は「體育會蹴球部」で、これも慶應義塾大学と同じ伝統を踏まえている。

今季は、まさに“尻上がり”に調子を上げていったシーズンだった。
1月の新人戦では熊谷高校に敗れ、準決勝を逃して6位。関東大会予選でも準々決勝で熊谷工業に7-31で敗れ、悔しさを嚙みしめた。
しかし6月中旬の全国7人制大会埼玉県予選では、その熊谷工業や川越東を倒し、今季初めて決勝進出を果たす。現役選手にとっては、3年間で初めて立つ“決勝の舞台”だった。
灼熱の6月。試合後、CTB浅野優心キャプテンは「本当に良い経験をさせてもらいました」と穏やかに語っていた。
「決勝に進出して、決勝で勝ち切ることの難しさを実感しました。これを秋につなげたい。15人制にもこのマインドを落とし込んで、勝ち切るチームになりたいと思います」
その言葉が、夏の始まりに、チームの進むべき道をはっきりと示した。

そこから夏、そして秋へ。
慶應志木は着実にレベルを積み重ねていった。
ボールを動かすスタイルに、従来持ち味とするモール戦術。
攻撃も守備も、全員が武器を磨き続けた。
ディフェンスでは「2人で1人を守る」ことを徹底し、常にコミュニケーションを途切れさせない。浅野キャプテンはどんな状況でも声を落とさず、仲間に進むべき道筋を照らし続けた。
花園に行くために、武器を増やすこと。
増やした刀を研ぎ続けること。
そして過信せず、しかし自分たちを信じ抜くこと。
今季のスローガン『貫』は、その覚悟を象徴した。

チームを支えた存在も多い。
練習に駆けつけてくれたOB、合同練習をしてくれた慶應義塾大学・慶應義塾高校の選手たち。
決勝戦の日には、慶應義塾高校の生徒が熊谷まで応援に駆け付け、ロッカールームへと向かう選手たちを見送り鼓舞した。
「励ましをもらって、試合に入れました」と浅野キャプテンは語る。
さらに、現在慶應義塾大学ラグビー部に所属する同校OBたちがスタンド最前列に並び、後輩たちを声の限りに応援した。


現在の3年生が1年生だった当時のキャプテンらも、涙を流しながら歓声を送った
一筋縄ではいかなかった、この1年。楽しい時も、苦しい時も。いつなんどきも、このチームの中心に立ち続けてきたのが、稀代のキャプテンシーを有する浅野優心選手。
その名の通り、優しさを心の真ん中に置きながらも、しかしラグビーと真っ直ぐ向き合う厳しさを仲間に示し続けた。
高校1年の4月。
入学して1ヵ月も経たぬうちに黒黄の10番を背負ってグラウンドに立ち、中学卒業から間もないとは思えぬ広い視野とコミュニケーション力を発揮していた姿は圧巻だった。
それから2年と7か月。
今夏にはオール埼玉のキャプテンも務め、“埼玉の顔”と言える存在に成長すれば、ついに埼玉の頂点へと慶應志木を導く。
「今日は、『3年間やってきたこと、今までの全てをかけてここで戦おう。自分たちの全てをグラウンドに出し切ろう』と声を掛けてグラウンドに向かいました」
チームの仲間がその言葉を信じついてきてくれたこと。苦しい場面を耐え抜き、60分をチームで乗り越えたこと。
それが悲願の花園出場を手繰り寄せました、と笑った。

最も印象的だったのは、ノータイムを迎え、浅野キャプテンがボールを大きく外に蹴り出した時のことだろう。
笛が鳴った瞬間、キャプテンは膝から崩れ落ちた。
仲間たちが駆け寄り、自然と大きな輪が、浅野キャプテンを中心にできあがっていく。
「自分たちの努力が報われた瞬間でした。何十年も志木高を引っ張ってきてくれた竹井さん(竹井章部長)を花園の舞台に連れていくことができて、本当に嬉しい気持ちでした」
笑顔で涙を流した。


浅野キャプテンの父は、浅野良太氏。日本代表キャップを持ち、NECグリーンロケッツのヘッドコーチも務めたラグビー人だ。
その浅野氏が今年は、同校のラインアウト分析を買って出た。準決勝での勝利後、川越東の試合を見ながら昼食をとる生徒たちのもとで、熱心に話をする浅野氏の姿もあった。
決勝戦では試合序盤に2つのラインアウトスティールを決め、ピンチを凌いだことが僅差での勝利にも繋がった。

まさに、親子で掴んだ初優勝。
だが浅野キャプテンは、同校のOBではない父の指導に「FWをはじめ慶應義塾の方々が(父・浅野氏を)受け入れてくださったことは本当に有難いことでした。形に落とし込むことまでできたのは、チームメイトの力」と言った。
伝統を理解する姿勢。それもまた、埼玉県代表のキャプテンに相応しき姿でもあった。

いよいよ向かう、慶應志木史上初めての花園。
「12番は一番体を張るポジション。流れをつくる重要な役割を任せてもらっています。慶應の12番に恥じないよう、声を出し、体を張り、常に先頭を走るプレーヤーでありたい。そして僕たちは、ここまで一緒に戦ってきた仲間、オール埼玉でも共に戦った仲間がいる中で勝ち上がってきました。彼らの想いも背負いながら、花園でもどこまで成長できるか挑み続けたいです」
埼玉県代表として、誇りをもって戦う覚悟だ。

◇
リアクションスピード、そしてコンバージョンゴールを3本すべて決めた正確な右足。
優勝に大きく貢献したのは、SH荒木大志選手。
「決勝の舞台でプレーすることを、ずっとイメージして練習していました」と語る。

この日、チームとしてやるべきことは決まっていた。
だからこそ徹底した。
浅野キャプテンという“背中”を信じ、迷わずついていった先に勝利はあった、と荒木選手は言い切った。
スクラムハーフは球捌きはもちろんのこと、エリアマネージメントでも大きな役割を担うが、その数メートルの差が、勝敗を分ける。
花園で待ち受けるは、全国の猛者たち。
「相手陣が深くなればなるほど、ぼくたちの武器であるモールは効いてきます。だから、しっかりキックで陣地を取って、花園ではFWが楽に戦えるようにしたいです」
力強い言葉で、花園の芝へと向かった。
