「やっと」たどりついた慶應志木67年目の初優勝、歓喜の涙。「憧れを超えたかった」川越東は涙の終幕|第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会埼玉県予選

慶應志木 ~開いた扉

「やっとだな、って」

40年にわたりチームを見守り続けてきた竹井章部長は、初優勝を果たすと、こみ上げる涙をそっとハンカチで拭った。

日本ラグビーのルーツ校である慶應義塾大学の系譜を継ぐ、慶應義塾志木高等学校。

埼玉県内でも最難関の進学校として知られ、多くの著名人を政財界に送り出してきた。

同校ラグビー部は、1958年に創部。正式名称は「體育會蹴球部」で、これも慶應義塾大学と同じ伝統を踏まえている。

今季は、まさに“尻上がり”に調子を上げていったシーズンだった。

1月の新人戦では熊谷高校に敗れ、準決勝を逃して6位。関東大会予選でも準々決勝で熊谷工業に7-31で敗れ、悔しさを嚙みしめた。

しかし6月中旬の全国7人制大会埼玉県予選では、その熊谷工業や川越東を倒し、今季初めて決勝進出を果たす。現役選手にとっては、3年間で初めて立つ“決勝の舞台”だった。

灼熱の6月。試合後、CTB浅野優心キャプテンは「本当に良い経験をさせてもらいました」と穏やかに語っていた。

「決勝に進出して、決勝で勝ち切ることの難しさを実感しました。これを秋につなげたい。15人制にもこのマインドを落とし込んで、勝ち切るチームになりたいと思います」

その言葉が、夏の始まりに、チームの進むべき道をはっきりと示した。

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そこから夏、そして秋へ。

慶應志木は着実にレベルを積み重ねていった。

ボールを動かすスタイルに、従来持ち味とするモール戦術。

攻撃も守備も、全員が武器を磨き続けた。

ディフェンスでは「2人で1人を守る」ことを徹底し、常にコミュニケーションを途切れさせない。浅野キャプテンはどんな状況でも声を落とさず、仲間に進むべき道筋を照らし続けた。

花園に行くために、武器を増やすこと。

増やした刀を研ぎ続けること。

そして過信せず、しかし自分たちを信じ抜くこと。

今季のスローガン『貫』は、その覚悟を象徴した。

チームを支えた存在も多い。

練習に駆けつけてくれたOB、合同練習をしてくれた慶應義塾大学・慶應義塾高校の選手たち。

決勝戦の日には、慶應義塾高校の生徒が熊谷まで応援に駆け付け、ロッカールームへと向かう選手たちを見送り鼓舞した。

「励ましをもらって、試合に入れました」と浅野キャプテンは語る。

さらに、現在慶應義塾大学ラグビー部に所属する同校OBたちがスタンド最前列に並び、後輩たちを声の限りに応援した。


現在の3年生が1年生だった当時のキャプテンらも、涙を流しながら歓声を送った

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一筋縄ではいかなかった、この1年。楽しい時も、苦しい時も。いつなんどきも、このチームの中心に立ち続けてきたのが、稀代のキャプテンシーを有する浅野優心選手。

その名の通り、優しさを心の真ん中に置きながらも、しかしラグビーと真っ直ぐ向き合う厳しさを仲間に示し続けた。

高校1年の4月。

入学して1ヵ月も経たぬうちに黒黄の10番を背負ってグラウンドに立ち、中学卒業から間もないとは思えぬ広い視野とコミュニケーション力を発揮していた姿は圧巻だった。

それから2年と7か月。

今夏にはオール埼玉のキャプテンも務め、“埼玉の顔”と言える存在に成長すれば、ついに埼玉の頂点へと慶應志木を導く。

「今日は、『3年間やってきたこと、今までの全てをかけてここで戦おう。自分たちの全てをグラウンドに出し切ろう』と声を掛けてグラウンドに向かいました」

チームの仲間がその言葉を信じついてきてくれたこと。苦しい場面を耐え抜き、60分をチームで乗り越えたこと。

それが悲願の花園出場を手繰り寄せました、と笑った。

最も印象的だったのは、ノータイムを迎え、浅野キャプテンがボールを大きく外に蹴り出した時のことだろう。

笛が鳴った瞬間、キャプテンは膝から崩れ落ちた。

仲間たちが駆け寄り、自然と大きな輪が、浅野キャプテンを中心にできあがっていく。

「自分たちの努力が報われた瞬間でした。何十年も志木高を引っ張ってきてくれた竹井さん(竹井章部長)を花園の舞台に連れていくことができて、本当に嬉しい気持ちでした」

笑顔で涙を流した。

浅野キャプテンの父は、浅野良太氏。日本代表キャップを持ち、NECグリーンロケッツのヘッドコーチも務めたラグビー人だ。

その浅野氏が今年は、同校のラインアウト分析を買って出た。準決勝での勝利後、川越東の試合を見ながら昼食をとる生徒たちのもとで、熱心に話をする浅野氏の姿もあった。

決勝戦では試合序盤に2つのラインアウトスティールを決め、ピンチを凌いだことが僅差での勝利にも繋がった。

まさに、親子で掴んだ初優勝。

だが浅野キャプテンは、同校のOBではない父の指導に「FWをはじめ慶應義塾の方々が(父・浅野氏を)受け入れてくださったことは本当に有難いことでした。形に落とし込むことまでできたのは、チームメイトの力」と言った。

伝統を理解する姿勢。それもまた、埼玉県代表のキャプテンに相応しき姿でもあった。

いよいよ向かう、慶應志木史上初めての花園。

「12番は一番体を張るポジション。流れをつくる重要な役割を任せてもらっています。慶應の12番に恥じないよう、声を出し、体を張り、常に先頭を走るプレーヤーでありたい。そして僕たちは、ここまで一緒に戦ってきた仲間、オール埼玉でも共に戦った仲間がいる中で勝ち上がってきました。彼らの想いも背負いながら、花園でもどこまで成長できるか挑み続けたいです」

埼玉県代表として、誇りをもって戦う覚悟だ。

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リアクションスピード、そしてコンバージョンゴールを3本すべて決めた正確な右足。

優勝に大きく貢献したのは、SH荒木大志選手。

「決勝の舞台でプレーすることを、ずっとイメージして練習していました」と語る。

この日、チームとしてやるべきことは決まっていた。

だからこそ徹底した。

浅野キャプテンという“背中”を信じ、迷わずついていった先に勝利はあった、と荒木選手は言い切った。

スクラムハーフは球捌きはもちろんのこと、エリアマネージメントでも大きな役割を担うが、その数メートルの差が、勝敗を分ける。

花園で待ち受けるは、全国の猛者たち。

「相手陣が深くなればなるほど、ぼくたちの武器であるモールは効いてきます。だから、しっかりキックで陣地を取って、花園ではFWが楽に戦えるようにしたいです」

力強い言葉で、花園の芝へと向かった。

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