「やっと」たどりついた慶應志木67年目の初優勝、歓喜の涙。「憧れを超えたかった」川越東は涙の終幕|第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会埼玉県予選

川越東 ~届かなかった2点

テンポ良く、スピーディに、そしてワイドにボールを動かす川越東のアタックは、まさに圧巻だった。

守備では一人ひとりが身体を張り、3度目の花園出場を見据えて積み上げてきた“締まったチーム”の姿が随所に表れる。

つまり川越東は、自分たちが「何で勝ち切るチームなのか」をしっかりと理解していた。

決勝戦では、フィールドラインアウトを2度繰り出した。

前半はそのままモールへとつなげ、後半はフィールドラインアウトを囮に背後からランナーを走らせる。

勝つためのプランをいくつも懐に忍ばせ、あらゆる局面に備えて臨んでいた。

それでも、あと2点が届かなかった。

「結果が出なくて、本当に悔しいです」

試合後、FB飯野幹也キャプテンは流れる涙をぬぐうこともできず、慟哭の中で言葉を絞り出した。

「自分自身の責任を感じています」

声にならない声を、何度も何度も繰り返した。

完璧な準備をし、その準備を遂行する力もあった。

実力で劣っているとも思わなかった。

それでも――。

「ワンチャンスをものにする慶應志木さんのプレッシャーに圧倒されたことが、敗因の一つだと思います」

飯野キャプテンは、そう率直に吐き出した。

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準決勝の相手は浦和高校、決勝の相手は慶應志木高校。いずれもモールを武器とする相手で、その対策は抜かりなく積み上げてきた。

「洗練されたプレーをする慶應志木さん。いろんな部分を準備してきましたが、相手が一枚上手でした。自分たちのベストパフォーマンスは出せたけれど、なかなか止められなかった。本当に相手が上だったと思います」

実は飯野キャプテン自身は、10月半ばに左膝を負傷していた。事前練習では足を引きずるほどだったという。

それでも、この日は痛みを感じさせないほどのプレーでトライも取り切った。

「最後は気持ちなんで。自分がどうこう言っていられない。スキルとかじゃなくて、気持ちだけです」

その一心でグラウンドに立ち、その言葉どおりの姿を最後まで貫いた。

叶わなかった花園の舞台。

だから、埼玉県代表として戦う2校に、飯野キャプテンは心からのエールを送る。

「山組みが決まってから、熊谷工業さん、浦和高校さん、慶應志木さんとさまざまな想定をしてきました。菅平合宿の頃から『慶應志木さんが決勝に来るかもしれない』と考えながら練習してきました。自慢のフィジカルや強いフォワード、ランナーの力は本当に脅威で、僕たちも圧倒されました。僕たちの目標は“花園で年越し”。でも叶わなかったので、その想いを慶應志木さんと昌平さんに託したいです」

チームを支え続けたナンバーエイト、渡邉咲介選手。

長く務めてきたバックスとしての経験を糧に、夏以降本格的にフォワード最後尾へとコンバートした。

「FWとBKの架け橋になれるナンバーエイトが自分に合っている」という直感を信じ、その判断を望月監督も後押しした。

咲介という名前の由来を聞けば、「咲いている花を助けられる人間になるように」との願いが込められたものだという。

誰かが咲くことを助けるのではない。それぞれに咲き誇るその姿をそのまま受け止め、その道のりにそっと手を差し伸べられる人であるように。

だから、この日の決勝戦では「幹也(飯野キャプテン)もケガを抱えていたので、絶対に自分がやらなきゃと思いました」と自らに矢印を向けた。

とはいえ、声だけで引っ張るリーダー像は、自分にはしっくり来なかった。

言葉で引っ張るだけでは、仲間の良さを生かしきれないとも考えた。

だから、得意のボールキャリーに徹する。

「とにかく一歩でも。何回でも立ち上がって、“まだいけるぞ、花園に行くんだぞ”というボールキャリーをしたかった」

その強い足運びは、60分間途切れることがなかった。

しかし、後半30分過ぎ。トライラインまであと数センチという場面で鳴った笛。ラックから渡邉選手がボールを持ち出し、押し込もうとした瞬間、思わず頭が下がってしまった。

ローヘッドの反則。その笛とともに、試合はノーサイドを迎えた。

「最後、自分が頭を下げてしまいました。みんなが頑張ってくれたのに、自分が台無しにしてしまったという思いがあります」

涙を零した。

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川越東で過ごした3年間を思い返せば、いま最初に思い浮かぶのは入部前の記憶だという。

「僕は土居くんの代(土居泰介OB、現在大学3年生の代)に憧れて川越東に入りました。その代の試合を中学3年生の時に見て、花園予選決勝の難しさを知りました。入学した年には寺山くん(寺山公太選手/現・筑波大2年)たちがいて、花園を目指せば本当に届くことを教えてくれた。そのことを、いま強く思い返しています」

憧れた3つ上の代も、同じく埼玉県予選決勝で涙をのんだ。

だからこそ、憧れを超えたかった。

「憧れた人たちよりも、上に行かなきゃいけませんでした」

きっと近い未来、今日の彼らの姿を見て川越東を選ぶ後輩たちが、いずれ憧れを超えていくのだろう。

そう信じられる一戦だった。

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