&rugby、はじめました。

仕事がラグビーになりました

無事、熊谷市に引き取って頂けたわたしは、公私ともにラグビーに囲まれる生活が始まった。夢みたいな日々だった。
ラグビーマガジンにポストイットを貼り、注目して欲しい情報をピックアップするのが最初の仕事。
なんて幸せなのか、と思った。

Honda時代は月曜日が憂鬱だったのに、熊谷に行ったら月曜日が楽しみで仕方がない。
なぜなら、その週末にあった試合の話を、同僚たちと語り合えるから。
そして分からなかったプレーについて、同僚に実践付きで教えてもらえるから。(元トップリーガーが職場にいたのだ)

まさに夢のような職場だった。

 

そんな熊谷で、わたしは大きく分けて2つのことを担当する。

一つは、ワールドカップ期間中に設置されたファンゾーンの企画・運営

昔からラグビーが好きな人たちと、初めてラグビーを見る人たちとが、ラグビーで交わる空間を作りたい。
そう思い描きながら設計した熊谷ファンゾーンは、予想以上の盛り上がりをみせた。合計10日間でお越し頂いた方は、延べ7万人以上。こんなに楽しい時間になるとは想像だにしなかったし、なによりたくさんのお客さんの笑顔が見れて、最高に幸せだった。

 

もうひとつは、ラグビーによる地域創生プロジェクト、とでも言おうか。
一度は廃れてしまった「ラグビータウン熊谷」という言葉に再び息を吹き込むことがミッションだった。

きっかけは、入庁したその日に上司から言われた「ラグビーワールドカップで、どうやって熊谷を盛り上げたらいいかわからない」という言葉。
Hondaで企画屋をしていたわたしが熊谷に来たのも何かの縁、と周りを巻き込みながら試行錯誤で新たなスローガンづくりを始めた。

3か月後、誕生したのは『スクマム!クマガヤ』。ワールドカップが目前に迫る中、信じられないスピードで記者発表までこぎつけたのは、熊谷という場所に根付くラグビー人の熱意あってこそだった。

 

ラグビーワールドカップ2019を終えて感じたこと

ラグビーワールドカップ2019の終焉とともに、わたしの熊谷での生活も終わりを告げた。
元々1年7か月という期限付き採用だったのだが、第二の故郷となった熊谷を離れることは寂しかった。

熊谷で、新たなラグビーの可能性を見せてもらった。ラグビーが人々の日常の一部になることは不可能ではない、と教えてもらった。
だからこそ、次はもっとチャレンジしたい。

元来海外志向が強かったわたしは、次の活躍の場をアメリカに求めた。

2018年にサンフランシスコで行われた『ラグビーワールドカップセブンズ大会』を観に行き、アメリカという未開拓市場に無限の可能性を感じていたわたしは、アメリカでラグビーの普及に携わりたい、と願うようになった。

そこで目を付けたのが、アメリカのプロリーグであるMajor League Rugby(MLR)。発展途上ながら急成長を遂げているリーグだ。

2020年2月、シーズンの目玉である「Vegas Weekend(ラスベガスに8チームが集まり、試合を行う週末のこと)」にあわせて渡米した。
もちろん、コネクションなど何もない。現地で完全なる飛び込み営業だ。

試合を終えたチーム関係者を呼び止め、むりやり履歴書を渡した。計8チームリーグとリーグ。
なかなかに無謀なチャレンジは結果、コロナ禍も相まって話を進めることは出来なかったが、ラグビーに対する自身のモチベーションを上げることができた。

 

ファンに寄り添う場を作ろう、そう決意して帰国した。

スポンサーリンク

編集部だよりの最新記事8件