3年生で卒部。早稲田大・阿部対我選手が得た『居場所』

1日、間に合わなかった

早稲田大学ラグビー蹴球部で過ごした3年間は、決して順風満帆ではなかった。

1年目は、成蹊大戦でベンチ入りするも出番なし。初めて対抗戦の舞台に立ったのは、2年目の開幕戦・日本体育大戦だった。

その後もリザーブ登録が続くが、帝京戦・明治戦など競った試合では交代枠を使われなかった。

「タフな、どっちに転ぶか分からない試合展開で、僕はまだ出れるレベルじゃなかった。首脳陣からの信頼がなかったんだと思います。」


大学選手権決勝ノーサイド直後、天を仰いだ

阿部選手には、1つの後悔がある。

幼いころからラグビー場に連れて行ってくれていた父に、秩父宮ラグビー場でアカクロを着て試合する姿を見せられなかったことだ。

早稲田ラグビー部に入って2年目の2019年、父が体調を崩した。入退院を繰り返しながら、あれよあれよという間に悪化した。

2019年シーズン最初の秩父宮ラグビー場での試合は、11月10日の帝京大戦。阿部選手はリザーブに選ばれながらも、グラウンドに立つことはなかった。

試合後、父に「次の早慶戦は出るからね」と誓った。父からは「(TVで)見てるね」と返事があった。

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しかし。

早慶戦前日の朝、母から「今日が山場らしい」と連絡が入る。すぐに病院に駆け付けたが、意思の疎通が出来る状態ではなかった。

試合前練習を控えていた阿部選手は、最期を看取らず上井草に戻る決断をする。

「父が昔、早慶戦や早明戦に連れていってくれた時『お前がここに出てくれたら自慢できる』って言っていたことを思い出したんです。だから、試合に出なきゃ、と。『もう行くね』と声を掛けて病室を後にしました。」

練習を終え、寝る前に携帯を見ると「旅立ちました」とメッセージが入っていた。


大学選手権決勝後、挨拶を終え後藤翔太コーチとの一コマ

翌日の早慶戦。毎年11月23日に早慶戦が設定されているのは「晴れの特異日」だからだ。しかし、2019年の早慶戦は土砂降りの雨が降っていた。

後半41分。阿部選手は、念願の秩父宮ラグビーのピッチに、早慶戦の舞台に立つ。

「正直、試合のことはあまり覚えていないんです。試合後は『やっと出れた』という思いと、『もう一試合前の帝京戦で出れていれば、秩父宮ラグビー場のピッチにアカクロを着て立つ姿を父に見せられていたのにな』という思いとが入り混じっていて。ぐちゃぐちゃな感情でした。」

勝って嬉しい、出られて嬉しい。でも、父に見せられなかった。阿部選手は試合後、号泣していた。

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