3年生で卒部。早稲田大・阿部対我選手が得た『居場所』

早稲田大学4年生でありながら、早稲田大学ラグビー蹴球部3年生。

いささか不思議な響きだが、誤りではない。

これまでに関東大学対抗戦9試合、大学選手権6試合に出場したプロップ・阿部対我選手は、2021年1月11日をもって早稲田ラグビー部を卒部した。

メンバー表に書かれた『3年生』表記の裏側にあった想いとは。

昨シーズンの早慶戦で涙を流した理由、そしてこれまで応援してくれたファンへの想いとあわせて、話を伺った。


大学選手権決勝は、後半28分からピッチに立った

ここじゃないどこかに行きたかった

小学2年生から始めたラグビー。初等部から早稲田大学の系列校に通っていた阿部選手は、友人たちとワセダクラブに参加した。

「一緒に入った仲間たちは、甲子園でハンカチ王子(斎藤佑樹投手)が活躍する姿を見て、みんな野球に流れていきました。残ったのは僕だけです」と笑う。

いつしか大学でアカクロをまとうことが夢になっていた阿部選手にとって、早稲田ラグビー部の新人練(*1)に参加することは自然の流れだった。(*1:入部前の練習期間のこと。例年3月に行われる)

しかし。

高校3年の3月に行われた新人練は例年以上に参加者が多かったため、10年以上ラグビーを続けてきた阿部選手にとっても、狭き門。入部は、叶わなかった。

4月には、ふつうの大学生として早稲田大学に入学した。オールラウンドサークルに入ったり、バイクの免許を取ったり。初夏には、高校時代の友人に誘われてアメフト部に入部した。

「何をしても『自分の居場所はここじゃない』っていう気持ちがつきまとっていましたね。大学を辞めてバックパッカーをすることも考えました。何がしたいかも、正直わからなかったんです。とにかく『ここじゃないどこか』に行きたかった」と言う。


大学選手権決勝、天理13番・フィフィタ選手にタックルに行く阿部選手

転機が訪れたのは、紅葉も色付きはじめた頃。小学校から同じ学校に通う丸尾崇真選手(2020年シーズン主将) が試合に出るというので、試合を観に行った時だった。「めっちゃ嬉しかったのと同時に、自分の中の未練に気が付きました。」

早稲田実業高校時代の恩師・大谷監督に話をすると、「もう一度挑戦してみれば」と助言があった。それで、腹は決まった。

もう一度、アカクロを目指そうーーー

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2年入部制度を活用すべく、早実の練習に参加して体力を戻した。「久しぶりにラグビー的な体の動かし方、ランメニューをしたら吐いてしまいました(笑)」

それでも挫けず、体力とスキルを磨いた。

そして訪れた、2018年3月。2度目の新人練。ちょうど相良南海夫監督に代わったタイミングでもあり、コーチングスタイルや新人練の在り方が変わったことも追い風になった。

「『最後まで喰らいついてこれるならラグビー部で頑張れよ』という方針だったので、必死に頑張りました。どれくらいの日数が充てられているか知らされていなかったので、自分たちで粗方のスケジュールから『来週金曜日までの2週間』が新人練期間だと目途をつけて。みんなで励まし合いながら過ごしたことを覚えています。」

迎えた2週目の木曜日。

「練習終わりに、『明日とりあえず耐えよう、あと1日頑張ろう!』とみんなで話していた時でした。コーチから急に『これで新人練は終わりです』と告げられたんです。あと1日あると自分たちで奮い立たせていた気持ちをどうしたらいいのか、という感情もありましたが(笑)ようやくワセダラグビー部に入れる!という嬉しさで、涙を流しながら抱き合って喜びました。」

かくして、早稲田大学生2年次から、早稲田ラグビー部1年生としての日々がスタートする。

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