県内屈指の進学校であり、ラグビーでも全国大会を常連とする長崎県立長崎北陽台高等学校。
その強化方法はユニークだ。
合宿は年に1度、お盆の時期に鹿児島で。
ラグビー合宿の聖地である菅平には、大会以外で登らない。
土日も大概、模試や学校行事が入っているため、遠征に行っても東福岡高校止まり。九州から出ることは、滅多にないという。
「練習試合もほぼないですし、合宿も8月に数日間しか出来ない。関東・関西の強豪校と戦う機会がないので、今年のサニックスワールドラグビーユース交流大会ではお腹いっぱい、試合をさせてもらいました。」
そう話すのはチームを率いて、今年で14年目。品川英貴監督だ。
ワールドユースの大会期間中、3年生を対象とした模試があった。
しかしラグビー部は大会に参加していたため、学校で受験することが出来ず。だからマネージャー含めた17名の3年生たちは、毎日1科目・約2時間ずつ、品川監督が試験監督となりホテルで試験を受けた。
「3年生は進路が関わってきますから。成績もしっかりと分析をしてもらわないと。」
例えラグビーで大学進学を決めた生徒であっても、1月に大学入学共通テストを受けることが長崎北陽台高校のルール。全員が最後まで、受験生としての生活を全うする。
そういう先輩たちの姿を見ることで、後輩らもまた文武両道のトップランナーであり続ける覚悟を養う。
「北陽台は勉強をしないと入れません。ラグビー以上に勉強を頑張る、という意志がなかったら入学を断ってください、とお願いすることもあります。」
覚悟をもって入学し、覚悟をもってラグビーと勉強に向き合う。課題を提出しなければグラウンドに立たない、という決まり事は、チームとして決めた。
今年の部員数は、選手だけで44名。
3年生16人、2年生10人、1年生18人。3年生は16人のうちPR橋本侑青選手、WTB田中堅選手ら4名が高校からラグビーを始めたが、1年生は全員がラグビー経験者。長崎北陽台高校の地元・長与ヤングラガーズで昨年度九州チャンピオンに輝いた者も、挙って北陽台に入学した。
「小学生の頃から『北陽台でラグビーがしたい』と言ってくれていた代でした。だからみんな根気強く声を掛け合いながら勉強を続けてくれて、ラグビーも頑張ってくれて。受験してくれた長与ヤングラガーズの子たちは、みんな合格したんですよね。嬉しかったです。」
かくいう品川監督自身も、北陽台のラグビーに憧れて入部した経験を持つ。
「中学2年生の時に北陽台が初めて花園に出場したのですが、その姿を見て『北陽台でラグビーがしたいな』と思って。それから1年間必死に勉強を頑張って、北陽台に入りました。好きなラグビーを思いっきりやるために、勉強も頑張る。赤点取っちゃったら補習がありますからね。お腹いっぱいラグビーをするためには、足を引っ張る要素を排除する。そのために僕は勉強をしていた高校生でした。」
勉強を頑張らないと、そもそも入れない。入学した後だって勉強をしなければ、ラグビーが出来ない。そういう覚悟を持った生徒たちが『北陽台のラグビーをしたい』と門戸を叩く。長崎のラグビー文化を、押し上げる。
長崎北陽台のラグビーを見ると、高校生らしさを感じる人も多いのではないか。
どこか懐かしい、オールドファッションな雰囲気を醸し出すラグビースタイル。なぜだろう、と頭を悩ませていると、品川監督は言った。
「世界的に主流とされている1331ポッド(アタックの陣形)を、あえて敷いていません。」
そういう現在のシステムは、上のカテゴリーに行っていくらでも学べばいい。今は、一番強い人が毎回ボールを持てばいい。答えは明瞭だった。
「選手層も厚くないですし、誰か飛び抜けた選手がいれば、平均的な選手だっている。だから強い選手が、端から端まで走ればいいんです。究極は毎回、白丸(No.8、キャプテン)がボールを持てばいい、と思っています。」
タイトファイブ(1番~5番)は基本的に走るエリアをグラウンド中央部に制限させ、仕事の機会を増やす。
システムに則ったディフェンスをしているチームほど、うちと戦った時に困惑するんです、と監督は笑う。
ポッドラグビーに抗う。ボールがある所にプレッシャーを掛け、スペースにボールを運ぶ。至ってシンプルに、ラグビーをする。
ブレイクダウンに人数を掛け、強い人がボールを持つ。それが北陽台スタイル
そう考えるに至った背景は、品川監督の高校時代まで遡る。
「人数が少なかったので、みんながレギュラー。春の選抜大会では、登録メンバーが16人だったこともありました。だからまずは、走りまくる。当たりまくる。上手い人がボールをいっぱいもらう。その分、キツいんですけどね(笑)。キレイなラグビー、型にはまったラグビーを高校時代にしなくていい、と僕は思っています。」
良い宝を持っている選手を、もったいない使い方をしない。高校時代は、いやここ長崎北陽台高校においては、それでいいのだと納得する。
長崎北陽台高校を卒業後、日本体育大学を経て東芝府中(当時)で活躍。30歳で現役を引退し、教諭として赴任した。「好きだったラグビーを30歳までお腹いっぱい出来て、夢だった教員にもなれて。自分の好きなことを、今の自分は一生懸命やれています。だから、好きなことをずっと続けていける教え子たちを送り出していきたい。それが今の僕の夢です。」
だからと言って、品川監督は自身のやりたいラグビーを押し付けるつもりはない。子どもたちがやりたいラグビーをサポートする感覚で指導にあたっている。
ゆえに一番やりがいを感じる瞬間は「僕の頭の中の辞書にないプレーをしてくれる時。感動します。」
なんでいまこのプレーしたの?
〇〇だからです。
あ、そっか、なるほどね。
「僕が示すラグビーが全てではないので。ただ、常に『なぜ今のプレーを選択したか』ということは問いかけていますね。それに対して即座に答えられないということは、考えてプレーをしていないということですから。」
一度意見を聞き、受け入れ、認める。ただもしその時に別のオプションも考えられれば、ベターアイディアを提示しながら、選手たちのプレーの引き出しを増やすことが仕事だと認識する。
新入生たちは「体のキツさよりも思考の速さについていけない」と口を揃える
昨年度の花園では、高校日本代表のハーフ団らを擁しベスト8。今年狙うは、16年ぶりの『花園ベスト4』だ。
チームの先頭に立つのは、身長184㎝、体重102㎏のNo.8・白丸智乃祐キャプテン。彼をキャプテンに据えた理由について、品川監督は「1年生から試合に出続けていること。そして取り組む姿勢から、成長が目に見えたこと」と評する。
「去年の3年生たちは、体をバチバチに当てるチームでした。その中で2年生として、厳しさや自らの足りない部分を肌身をもって感じてくれたのだと思います。高校日本代表候補にも2年生で選ばれ、自覚や責任感が芽生えてきたように感じます。」
白丸キャプテンも、自身の役割を「自分がしっかりとプレーで引っ張ること」と認識する。もちろん生活面においても、誰よりも規律正しくあるよう心掛けているという。
数あるチームスローガンのうち、白丸キャプテンが最も大切にしていることは『共争(きょうそう)』。
「共に争うと書いて共争、味方同士で争うことをテーマとしています。」
一つ一つのプレーにこだわりを持つこと、一人ひとりがワンプレーに集中し責任を持って考えること。「そうしたらもっと、完成度が上がっていくはずです。」
考える、がキーワードの長崎北陽台。
もうすぐ、勉強とラグビーにどっぷりと思考を巡らせる夏がやってくる。
話を伺ったのは、サニックスワールドラグビーユース交流大会4日目の京都成章戦後。インタビューの最中、京都成章・湯浅監督が横を通ると「楽しかったですね」と互いに声を掛け合った。なんとこの日が初対戦。練習試合含めて、過去に戦ったことはなかったという。
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