「やっとこういう舞台に立てた。光栄です」川越東高校で出会った2人が、聖地・秩父宮で対戦|関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合

関東ラグビーフットボール協会の創立100周年を記念し、6月30日(日)、秩父宮ラグビー場で記念試合が行われた。

7人制大学交流戦は計4試合を実施。

リーグ戦選抜 対 対抗戦選抜の一戦では、両チームに川越東高校(埼玉県)出身選手の名が並んだ。

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対抗戦選抜・渡邉匠

慶應義塾大学4年・渡邉匠選手。

春季大会最終戦・大東文化大学戦において、慶應義塾バックス陣の中で一番良いプレーをしたという評価を受け、この試合のメンバー入りを果たした。

「ラグビーを続けて7年目。やっとこういう舞台に立てて、めちゃくちゃ嬉しいです。光栄です」

試合後、渡邉選手は大きな笑顔を見せた。

大舞台で務めた先発。

一度ベンチに下がったが、後半5分に再びピッチへ戻ると、「キャッチしていたらトライ」という見せ場を作る。

惜しくもトライとはならなかったが「トライは秋(の対抗戦)にお預け」と、前向きに捉えた。

対戦相手には、川越東高校の1学年後輩・平田魁生選手(東洋大学3年)もおり「まさか同じ高校の仲間と戦えると思っていなかった」と喜ぶ。

ポジションはともにウイング。

高校時代は渡邉選手が14番で、平田選手が11番を務めることもあれば、平田選手が渡邉選手の交替で出場することもあったという。


写真右の赤ジャージーが渡邉選手。左の青ジャージーが平田選手

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ラグビーを始めたのは、高校1年生の時だった。

あっという間にエースへと上り詰め、高校3年次には川越東高校を初めての花園へ導いた。

新型コロナウイルスが流行して1年目。無観客の静かな花園で、学校史に一歩目を刻んだことも記憶に新しい。


川越東高校3年生当時の写真。花園第3グラウンドで、明和県央高校と対戦した

時はめぐり、2024年。早くも大学4年生の夏を迎えた。

卒業後は一般企業に就職するため、第一線でラグビーをするのも今年が最後となる。

ラストイヤー、残りの日々を全力で駆け抜ける覚悟だ。

「4年間の悔いを残さないこと。そして、今年は慶應義塾大学ラグビー部にとって創部125周年の年。結果にこだわりたいです」

チームマンとしての目標を掲げた。

リーグ戦選抜・平田魁生

試合前日、東洋大学での朝セッションのこと。

東洋大学3年・平田魁生選手は、福永昇三監督に声を掛けられた。

「明日、セブンズ行けるか」

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その前夜、日本大学ラグビー部に所属する選手が急逝した。そのため同大学は、服喪期間として記念試合への出場辞退を決定する。

第13回関東大学春季交流大会Bグループで東洋大学がリーグ戦最上位となる3位に入ったことをうけ、リーグ戦選抜チームの監督を務めることになった福永氏は、代わりに出場する選手を選出する必要があった。

「ぜひ、お願いします」

平田選手は即答した。

「こんな大舞台に出られる機会もなかなかない。お願いします、と伝えました」

急遽のメンバー入りも、福永監督からは「とにかく自分のプレーに自信を持って、全力でやってこい」と伝えられた。

平田選手は、緊張と楽しみが入り混じりながら、秩父宮ラグビー場のピッチに立った。

「高校時代、こんなに観客が入ったことはありませんでした。初めてこんな大勢の観客の前でプレーできたことが、感動です」

高校時代は、コロナ禍真っ只中。無観客での試合が大半だった。


川越東高校の1学年先輩・渡邉匠選手とのマッチアップは「感動。こんな大舞台で、先輩と戦えることもまずない。幸せです」

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平田選手の大学での公式戦出場経験は、5月12日に行われた春季大会・慶應義塾大学戦1試合のみ。

この大舞台での経験を、残り2年、飛躍のきっかけにしたいと意気込む。

「良い経験になりました。チャンスを掴めたかどうか、はまだ分かりませんが、ディフェンスを重要視している東洋大学生らしくタックルに行けたと思います。この舞台に選ばれた身として、チーム作りの経験を東洋に持ち帰りたいです」

短期間にどうやってチームを作るのか、その術を他大学の先輩たちから学ぶことができたと喜んだ。

「流通経済大の中村楓馬くん(4年生)から、コミュニケーションの大切さを学びました。良いチーム作りに活かしていきます」

リーグ戦としてのワンチーム。

夏の経験を、かならずや糧に。

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