兼ねてよりライバルだった2人は、『U-20 JAPAN』の文字が入った桜のジャージーを着ることが許された、たった2人のスクラムハーフになった。
2019年12月29日に行われた、第25回全国ジュニア・ラグビーフットボール大会・決勝戦。
当時中学3年生だった大阪府スクール代表のスクラムハーフ・村田大和選手は、福岡県代表との試合を終えると、対戦相手のスクラムハーフ・髙木城治選手に声を掛けた。
「ふたりでいつか、一緒に日本代表になろう」
髙木選手は答えた。
「なれるやろ」
それから5年後の、2024年7月。
2人は、U20日本代表として、ともに桜のジャージーに袖を通した。
ワールドラグビーU20トロフィー2024の4試合中、髙木選手が3試合に先発。リザーブから村田選手が登場すれば、最後の一戦は役割を交替した。
2人でたどりついた、桜のジャージー。
有言実行に「嬉しいです」と村田選手は笑顔を見せた。
一方の髙木選手は、かのエピソードについて「まじで覚えていない」と苦笑いする。
それでも髙木選手にとって村田選手は「中学生の頃から意識していた存在」。高校入学直後にはAチームで試合に出ていた村田選手に比べ、髙木選手が全国の舞台に出場するようになったのは、高校3年生から。
「うらやましいな、と思っていました。自分も頑張ろう、と思える存在でした(髙木選手)」
ライバルの存在が、互いを強くした。
高校卒業後は、奇しくもともに京都産業大学へと進み、そしてU20日本代表へ。
毎日、最も身近にライバルがいる環境を過ごす。
髙木選手は「ヤマトがいたからこそU20日本代表活動でも慢心せず日々成長できた」と言う。
もちろん村田選手にとっても、髙木選手は「友だちであり、ライバル」。
同じ大学だからこそ、相手の努力も、成長だって誰よりも知っている。一番近くにいるからこそ比較される状況に、悩んだ時期だってある。
でも、もし別の大学に進学していたら。
「そういう競争は出来なかったと思う」と村田選手は話した。
「ジョージが近くにいるからこそ、学べることがたくさんあります」
第3戦・U20スコットランド代表戦での髙木選手
2人には、互いに尊敬するところがある。
村田選手の「気合い」は別格だと、髙木選手は言う。
「結構タフです。練習時の試合形式のメニューでも、タフ。自分は結構サボっちゃうのですが、結構嫌なところにいてイライラさせられています(髙木選手)」
試合中も、村田選手の声は、よく通る。
3位決定戦・U20ウルグアイ代表戦での村田選手
かわって村田選手は、髙木選手の「発言」に尊敬の念を抱く。
自分が言ったことを最後まで貫き通す、その自信が「すごい」と感心する。
同じ大学に進んで良かったね、と思える未来が訪れますように。
そしてまた、いつか。
今度は『U-20』の文字がない桜のジャージーを、2人で。