2025年も、残すところあとわずか。年々、年の瀬が早くやってくるように感じる。
以前、テレビドラマでこんな話を聞いた。5歳の頃の1年は人生の5分の1。40歳の1年は40分の1。だから歳を重ねるほど、時間は早く感じるのだと。
妙に腑に落ちた。
&rugbyを立ち上げて5年。
「5分の1」となった今年は、これまで以上に、あっという間に過ぎていった。
今年も、たくさんの試合を見た。たくさんの声を聞いた。
たくさんの思いを、託してもらった。
(りーこ/原田友莉子)

春
この春は、少し特別だった。
埼玉ラグビー界の発展に尽力してきた、尾崎良巳氏が急逝した。ラグビー界では、学校の先生を「〇〇先生」と呼ぶ。だから以降は、敬意を込めて「尾崎先生」と記すことをお許しいただきたい。
尾崎先生は、埼玉県立深谷高校ラグビー部の創部者であり、22年にわたって同部を率いた。埼玉県ラグビーフットボール協会では副会長・理事長など数々の要職も歴任。その傍ら、何十年分ものラグビー記事や資料を切り抜き、整理・保存し続けた。その膨大なアーカイブは、令和2年に『埼玉県ラグビーフットボール協会 創立75周年記念誌』として結実する。100ページをゆうに超える記念誌には、数々の証言と記録が丹念にまとめられていた。尾崎先生は、記録を遺す者でもあった。
全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の実現も、尾崎先生の存在なくして語れない。いまや春の風物詩となったこの大会、じつは開催までに足掛け18年を要している。奔走した日々がまとめられた記念誌には、その18年がいかに険しい道のりだったかが記されている。想像を絶する調整の連続だったのだと思う。
そして、四半世紀にわたる全国選抜大会を見届け、第26回大会の幕が上がった日。2025年3月22日、開会式が行われたその日に、尾崎先生は永眠した。80歳だった。

翌日、1回戦が行われた朝。熊谷ラグビー場に到着すると、埼玉県協会の関係者から声をかけられ訃報を知った。心底、驚いた。
その日、開催県枠として大会に出場していた昌平高校は、選手全員が腕に喪章を巻き戦った。大分舞鶴高校との1回戦は、同点。抽選の末、2回戦進出は叶わず、コンソレーションでの戦いが決まった。
試合後、昌平高校の部長・御田誠氏はこう語っていた。「尾崎先生は、よく“勝ち切らなきゃダメだ”と言っていた」と。
同点は、立派な結果だ。負けてはいない。けれど、勝ち切らなければならない。
勝つことの厳しさをこの日、尾崎先生は改めて教えてくれた。天国から。

尾崎先生から深谷高校を受け継ぎ、同校を初の花園へ導いたのは横田典之監督(現・熊谷高校監督)だ。
尾崎先生について聞けば「天才ですよ」と振り返る。「頭が切れて、企業に勤めていたらきっと役職に就くような方でした」と尊敬の念を抱いた。
尾崎先生の在任中、深谷高校が花園に届くことはなかった。だが横田体制となりついに花園初出場を決めると、横田氏が最初の胴上げ人にと指名したのは尾崎先生だった。
「先に胴上げされるべきは尾崎先生だから」と、当たり前のように言う。いかにもラグビー人らしい。その時、尾崎先生から「ありがとう」と伝えられたひとことを、横田監督はいまも忘れていない。

「これからも淡々と、しっかりと選抜大会を進めていく」
パソコンに打ち込む手を止めることなく、そう話したのは宮本和則氏(大宮高校監督)。現在、全国高校選抜ラグビーフットボール大会の実質的な運営を担っている。
尾崎先生が実現にこぎつけたと言っても過言ではない全国選抜大会が「いつまでも高校生の憧れの大会であり続けたい」。そのために、全国選抜大会の運営を、これからも粛々と進めていく覚悟をのぞかせた。
尾崎先生の告別式が行われた日。昌平高校の御代田部長は「多くの人が弔問に訪れるだろうから」と、早めに会場に向かったそうだ。すると、それよりもさらに早く、横田監督はすでに弔問を済ませていたという。
託されたものを引き継ぐもの。
別れの挨拶を交わさずとも、その気持ちはきっと繋がっているのだと思う。

閉幕した日の熊谷の空
そうして始まった今年の選抜大会では、いくつもの景色を見せてもらった。
名古屋高校と東海大相模高校の試合は激しく、熱く、それでいて気持ちのいい一戦だった。試合後、東海大相模高校の三木監督は笑いながら言った。
「名古屋は、強いんだよ」
両校、よく手合わせするらしい。その通り、名古屋高校は強かった。
その後、名古屋高校は愛知県予選で優勝し、第105回全国高等学校ラグビーフットボール選手権大会への出場を決めている。

忘れられない景色もある。
初めて見た、東福岡高校・藤田雄一郎監督の握りこぶし。準々決勝で大阪桐蔭高校を相手に、ラストワンプレーで逆転トライを決めた瞬間だった。心が大きく揺さぶられた。
昨年1回戦敗退だったチームが、準々決勝で大阪桐蔭を破り準決勝へ進出する。当たり前じゃない。すごいことだと思った。

大分舞鶴高校の選手が教えてくれたのは「伝統を継承する自覚」だった。
冬の全国高等学校ラグビーフットボール大会では、第54回大会(1974年度)で優勝。準優勝も3度を誇る、大分舞鶴。今年、一度は途絶えた部歌『ラグビー賛歌』を、全国選抜大会の舞台で復活させた。
その想いを教えてくれたのは前田大志キャプテンだったが、彼との出会いをつなげてくれたのは、昨年U20日本代表アナリストを務めた首藤弘人氏だった。熊谷ラグビー場で再会すれば「僕、舞鶴出身なんですよ」と言い、「紹介しましょうか?」の一言から、監督そしてキャプテンへとご縁をつないで頂いた。
夏の菅平では、その大分舞鶴の練習風景も見ることもできた。縁はこうしてつながっていくものだと、ありがたく思った。

筑紫高校SO/CTB草場壮史キャプテンのかっこいい言葉を聞いたのも、全国選抜大会だった。
筑紫高校は昨年、創部50周年を迎えた。これまで数々のスローガンが毎年掲げられていたが、「今年はスローガンを立てていない」と言う。
驚いた。あの筑紫にスローガンがない。なぜだ。
長木裕監督は言った。
「自分たちには『走れタックル、魂のタックル』があるからスローガンは必要ない、って選手たちが言ってきたんです。僕が監督になってからは初めてです。それもいいな、と思いました。嬉しかったです」
そうか。スローガンにする必要がないのだ。
走れタックル、魂のタックル。
それこそが筑紫高校の背骨で、生きる道。思わず泣きそうになった。
言葉にするのが得意ではないかもしれないが、じっくり話を聞くと、その奥にある純度の高い気持ちを教えてくれるのが草場キャプテン。筑紫高校は今年、5年ぶりの花園出場。どんな姿を見せてくれるのか、心待ちにしたい。
ちなみに先日、東海大相模高校の三木監督に早明戦で出くわした。
今年の正月に行われたサニックスワールドラグビーユース交流大会2025予選会で両校は対戦し、32-0で東海大相模高校が勝利していたのだという。「もし花園でお互いに3回戦まで勝ち進めば、相手は筑紫高校になる」と三木監督。
1年間の成果を発揮するには、十分な組み合わせとなった。

