レフリーの第一線から退いた後は、治療に専念した。
入退院を繰り返しながら、数値を改善。
「寛解」との診断が下ったのは、当初東京オリンピックが予定されていた2020年夏を少し過ぎた頃だった。
自分が自分らしく生活できるペースが掴めるようになったのも、ちょうどその頃合い。レフリーではない、次なるステージに向け歩み出した。
その一歩目に選ぶは、言語の習得。
働きに出るのではなく、まずはインプットから。英会話教室に通い、自らのスキルアップに努めることにした。
そうして、1年が経った頃だったか。
日本ラグビーフットボール協会で7人制日本代表のチームマネージャー職が公募されると、履歴書を手にとった。やっぱり、ラグビーが好きだった。
だが、残念ながら希望は叶わず。
「これがラグビーとの最後かな。」
ラグビーとの関わりを、一度は断念した。
その後しばらく、長野県へと移り住む。空気の綺麗な所で、ラグビーとは全く関係のない仕事に就いた。
だが、ラグビーの神様はやはり放ってはおかない。関係者を通じて、U20日本代表のスタッフ職が打診された。
「巡り巡って、戻ってくることができました。」
穏やかな笑顔、明るい抑揚で話すその姿は、ラグビーが自身の一部であることを物語った。
思いっきり、やり遂げたい
レフリーの道を断念して、丸4年。
今、川崎氏はチームマネージャーとして、JAPANの文字を背中に背負う。
U20の若き桜の戦士たちがグラウンド上で練習し易い環境作りに努め、同時にコーチ陣が必要とする用品を揃える。選手スタッフの交通費精算などバックオフィス業務もまた、役責の一つである。
プレイヤー、レフリーと経験をしたが、マネジメントサイドの業務は知らなかったことばかり。だから「今、新鮮な気持ちでまたラグビーに携われています」と朗らかに語る。
とある練習日には、『AD』と呼ばれる実戦形式の練習(アタック&ディフェンス)で、笛を持ち選手たちとともにグラウンドを駆け回る川崎氏の姿があった。
「ロブさん(U20日本代表ヘッドコーチ、ロブ・ペニー氏)が、『もう一度レフリーやってみたら?』と言ってくださったんです。ちょうどその時、笛も持っていて。すごく良いタイミングでそうおっしゃて頂いたので、笛を吹くことができました。」
何かあった時に笛を吹けたらいいな、と、自身の笛を持ち歩いていたのだという。
いま、川崎桜子さんが歩む道は、決して20代の前半に思い描いていたものではない。
長く険しかった、回り道。
だが、その道中で身に着けた一つひとつの経験が、間違いなく肥やしとなって自身を形作っている。
「U20のヘッドコーチは、英語が主言語です。時間をとって勉強した経験や知識があって良かったなと感じます。」
5月末に行われたU20日本代表対NZUでは、ベンチに入り選手交代を伝達する役割を担った
どうしても望んだ形ではなかった、レフリーキャリアの終わらせ方。
だから、この仕事は思いっきりやり遂げたい。
「レフリーとしての心残りを払拭する、ではないですが、あの日々を過去のものにできるように。最後は、燃え尽きたいですね!」
チームはこれから、6月24日に南アフリカで開幕するワールドラグビー U20チャンピオンシップ2023に向け、最後の追い込みへと突入する。
もちろん南アフリカにも、チームマネージャーとして帯同する予定だ。
「これまでの経験を活かして、色々な役割ができればいい。でもしっかりと努めなければいけないのは、チームマネージャーとしての仕事。チームに貢献できることが一番嬉しいです。」
- 1
- 2