川越東
関東大会最終日。
東海大相模とのCブロック決勝戦を戦い終えた望月雅之監督の表情は、穏やかだった。
「強いチームを相手にも、トライを取り切れたこと。ゼロで終わらなかったこと。シャープにディフェンスできる時間帯もあったこと。成長を感じることができました」
17-10と健闘して折り返した前半、しかし後半開始早々の失点が勝敗を分けた。そこに「強豪校との差」を感じつつも、2試合を通しての手応えは大きかった。
「『こんなに良い関東大会、(今までに)ないな』とスタッフにも言ったところです。東海大相模戦では、試合終了間際に諦めずトライもできたし、すごくポジティブに終われます。できたこと、できなかったことが明確になったし、フィジカルでもスクラムでも戦えていた。一伸びしたこの2試合は、秋につながる2日間だったと思います」
戦ったのは関東大会。
だが望月監督は、選手たちに「これは花園の2回戦だ」と伝え、試合に送り出していた。
「花園では、1回勝ったらもうこのレベル、こういう(東海大相模のような)チームと戦わなきゃいけない。そのマインドをどうやって彼らが持つか、どう戦うか、というところでした」
全国高校ラグビー大会を見据え過ごした2日間は、実り多き時間となった。
得られた手応えのひとつに、1人のルーキーの存在がある。
ナンバーエイト、松本暖(まつもと だん)選手。
1回戦ではトライを挙げ、決勝ではフル出場を果たした。
183cm、100kgの恵まれた体格はもちろん「1対1のヒットや周囲を見る力、キックも得意です」と自信をのぞかせる。
写真左、黒に黄色のヘッドキャップが松本選手
実は川越東との縁のはじまりは、自身が生まれるよりもはるか昔、20年以上前まで遡る。
望月監督がコーチとして関わり始めた2003年、その当時在籍していた選手が、松本選手の叔父だった。
「僕のお父さんの弟が、川越東でラグビーをしていました。だから小さい頃から試合を見に行くことも多くて、ずっと川越東に憧れていました」(松本選手)
その思いは途切れることなく、やがて実を結ぶ。
「いろんな高校から声がかかる選手でしたが、『川越東に』と最初から決めてくれていたようです」と、望月監督は「ちっちゃい頃から知っている」選手の加入に優しく微笑んだ。
小学生の頃は浦和ラグビースクール、中学では京葉ラグビーフットボールクラブでプレーし、高校入学と同時にポジションはロックからナンバーエイトへと進化を遂げた。
そして高校1年の6月、はやくも埼玉県外での公式戦を経験。
「全国レベルの選手を見て、実際に戦って、レベルの高さを実感しました。まだナンバーエイトに慣れていないので、これからどんどん上手くなりたい。エイト、楽しいです」と笑う15歳。
その笑顔の奥には、明確な目標を宿す。
「フィジカルと周りを見る力をさらに養って、自分に足りないところをどんどん伸ばしていきたいです」
フィットネスも、筋肉量も、そして自在な攻撃センスも。
秋には、大きく進化した姿が見られることだろう。
東海大相模との決勝戦、後半25分のラストトライは10番・岡部史寛選手(3年)が裏深くへと蹴り込んだ所からチャンスが生まれた。スコアラーは20番・加賀崎瑛太選手(2年)