大1・夏。100%の敗戦と、掴んだ世界1位
南アフリカでは、ジャパンの洋服を着て歩くと、道行く人たちから「ラグビーやっているの?頑張ってね」と声を掛けられた。
良い街、良い人に囲まれ過ごした1か月だった。
5試合中、4試合でフル出場。武藤航生選手(関西学院大学2年)に次ぐプレータイムを得た。
グラウンドコンディションは決して良好とは言えず「雨降ったらスパイクがズボって。沼みたいでした」【写真提供:日本ラグビーフットボール協会】
初戦の相手はフランス。圧倒的なレベル差を、目の当たりにした。
「これはダメだ、勝てない、って思いました。10回やったら10回勝てない、って」
笛が鳴らず、まさしくタッチフット状態。
「小人(こびと)が倒されているようなもんです。ボーリングの球に、ポーンと弾かれた感覚です」
フィジカル含め、間違いなくフランスが一番強かった、と振り返る。「レベルが違いました。だから、諦めもついたというか」
ウイングとしての出場にも関わらず、ディフェンスはほぼグラウンド中央が主戦場だった。
続くウェールズ戦。
チームとしては惜敗だったが、矢崎由高個人としては手応えを感じた一戦となる。
「ラインブレイクもしっかりできたし、キック処理も悪くなかった。ランでも比較的良い結果を残せた。あの試合があったからこそ、次戦からフルバックに行けた」と理解する。
予選プール最終戦・ニュージーランド戦以降は、フルバックとして出場。狙い通りボールタッチの回数を増やすことができた。
体が順応したことに加え、外国人の当たり方や捕まえ方の特徴を理解し出したのもこの頃だという。
順位決定トーナメント初戦となったアルゼンチン戦は「勝たなきゃいけない試合だった」と唇を噛む。
「TMOがかかりトライ取り消しになってしまったスローフォワード。ラインブレイクしたけど取り切れず、3点に逃げた所。ここで僕が2トライ決められていれば、10点が入っていたんです。PG分の3点を差し引いても、7点を失っているんですよね。もしこの時7点加えられていたら、もう少し流れが変わったかな、って」
最終・イタリア戦にも敗れ、残念ながらU20チャンピオンシップを最下位で終えた。
最下位は自動降格。来年は、下部大会となるワールドラグビー U20トロフィーでの戦いが決定した。
【写真提供:日本ラグビーフットボール協会】
高校日本代表としてのアイルランド遠征中、言っていた言葉がある。
「ピンチの時にチームを救えるようなフルバックでありたい」
U20にプレーの場を移した、2023年夏。「まだ、自分がそこのレベルにいるイメージは湧かなかった」と正直に話した。
高校時点での、同年代のアイルランドとは1点分の実力差。
だが1つ学年が上がるだけで、何十点差分もの実力差がついていることを理解した。
その差を実感できたことが、今夏一番の大きな収穫だった。
もし、U20に行っていなかったら。『(U20に)行っていないシーズン』を、早稲田で普通に過ごしていたと思う。
「これから世界と戦っていくための、焦りの材料になりました」
この1年で初めて、「世界と戦う」という言葉を自ら口にした。
【写真提供:日本ラグビーフットボール協会】
一方で、矢崎由高という1人のラグビープレイヤーとしては、U20チャンピオンシップで2つの記録を達成した。
31回のDefenders Beaten(相手のタックルを破り、前に出た回数)は、なんと世界1位。
キャリーメーター(ボールを持って進んだ距離)は、ニュージーランドのハリー・ゴッドフリー(ハリケーンズ)、マッカ・スプリンガー(クルセイダーズ)に次ぐ644mで世界3位となった。
それでも「本当にすごい選手だったら、チームを勝たせられている」と満足はしない。「5本トライを取られたって、僕が6本トライを取ったら勝てるじゃないですか」
大会中、ノートライに終わったことを悔やんだ。
世界とは、常に自分が成長できるような場所
南アフリカでの収穫は、これからの伸びしろに気付けたこと。
何より高いレベルの選手たちと戦って「自分も通用している部分があった」と感じられたこと。
「まだ、そこ(高いレベル)に行ける可能性はあるぞ、と感じることができました」
最大の学びは、プレー中にも「大丈夫なんとかなる」と楽観視する気持ちの余裕を持つことだった。
そしてここぞという場面で、自分の全力を100%出す集中力。
「一番上手かったのは、NZのマッカ・スプリンガー。(スーパーラグビーの)クルセイダーズで出ていただけの実力が、やっぱりありました」
でも、とテンポよく続ければ「僕もできると思いました」と紡ぐ。
「逆にそれができなければ、次のステップには進めないかな、って」
僕もできる。同じレベルに行ける可能性はある。その感覚を自信に変え、肥やしにすべきと心得る。
高校3年生で経験した初めての世界は、「楽しい」に溢れた舞台だった。
その僅か3か月後に迎えた2度目の世界では、大きな土産物を手に帰国する。
「高校日本代表としてアイルランドと試合をしていなければ、たった1年でこれだけの差が開くということも分からなかったと思います」
同年代で唯一、その『差』を経験した者として。
来年のワールドラグビー U20トロフィーでは「U20チャンピオンシップにもう一度昇格させることが最大のミッション」だと理解する。
「トロフィーでは、勝てることもあると思う。だけど僕自身は、そこでも常に『これがチャンピオンシップでも出来るか』と自問自答し続けたいです」
それがワールドクラスにたどり着く秘訣だと思っているので、忘れずにい続けたい。そう宣言した。
「世界とは、常に自分が成長できるような場所でした」
大1・秋。目指すは『大学No.1フルバック』
これから迎える、初めての関東大学ラグビー対抗戦。もちろん、アカクロを着続けたい。
「U20で感じたレベル感を落とさないことが大事だと思っています。たとえ練習で良いプレーができたとしても、これがフランスに通用するのか。今後フル代表を目指す上で、同じことができるのか。自分のパフォーマンスを高く維持し続けることが、代表定着に大事だと思っています」
大学レベルだからできること、に満足をせず。
その先を目指し通用することを、早稲田でもやり続けたい。
「苦しい試合も、苦しい時間もあると思います。だけど僕もレベルアップしていくし、チームもレベルアップを続ける。秋、冬と成長したところをしっかり体現するので、期待してもらえたらと思います」
今秋の目標を問うと、『大学No.1フルバック』と言い切った。
「僕自身、(早稲田大学第106代主将の)伊藤大祐にはずっと憧れていました。その伊藤大祐を最後、しっかりと国立で勝たせられるように。結局は大祐さんに勝たせてもらうんですけど、でも勝たせられるように。手助けできたらな、と思っています」
取材を行った日、とある高校生たちが合同練習のため上井草を訪れていた。
目を輝かせながら矢崎選手に視線を配る高校生ラガーマンたちに、矢崎選手自ら「写真撮る?」と声を掛ける。
高校生たちは「良いんですか!」と喜びながら、満面の笑みで一つの画面に納まった。
早稲田大学に入学後、こういった場面を幾度か経験した。
NZU戦はもちろん、早稲田での試合前後にも「頑張ってください」と自分よりも年下のラグビープレイヤーたちに声を掛けられることが度々あった。
だから、かつて自身が憧れた「すごい人たち」の一員である、その自覚も芽生え始める。
「応援してもらっていることも、好きになってもらえていることも、嬉しいです」
多くのファンの声援を力に変え、目指すは大学No.1フルバック。
いや、もっとその先へ。