飛び級選出のU20で世界1位の個人記録。次なる目標は『大学No.1フルバック』|早稲田大学1年・矢崎由高

矢崎由高(やざき よしたか)、19歳。華々しくも激動の経歴を持つ。

桐蔭学園高校では1年生にして花園フル出場。

フルバックとして鮮烈なデビューを飾ると、準決勝ではハットトリックを達成。花園2連覇に大きく貢献し、世間の注目を一身に集めた。

しかし2年次の花園では徹底マークを受け、準決勝敗退。

高校3年次には怪我が重なり、有観客で行われた公式戦には出場記録がない。関係・保護者のみに公開された神奈川県予選決勝では、自身初となる地方大会での敗北を味わう。人目に触れることなく、高校ラグビー生活に幕を下ろした。

それから9か月。

高校日本代表としてアイルランドへ遠征すると、1トライを奪って2つのテストマッチにフル出場。早稲田大学進学後は同級生で最速のアカクロデビューを飾り、初先発時にはハットトリックを決めた。

飛び級でワールドラグビー U20チャンピオンシップに参加すれば、参加全選手中1位のDefenders beaten(相手のタックルを破り、前に出た回数)をも記録。

瞬く間に、超高校級プレイヤーから、世界で通用する選手へと名を変えた。

ラグビー人生の新章に突入したこの夏、矢崎選手は果たして何を見て、何を思い、何を決意したのか。

激動の1年を紐解きながら、これから先の目指す姿を聞いた。

高3・春。「たまたま」の全国3位

遡ること1年半。

強豪・桐蔭学園高校の最上級生として最初の全国大会、全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会に挑むと、3位につけた。

だが、戦った選手たち自身の感触は芳しくない。「再現性のないトライが多くて、危機感を持ちながら始まった春でした」と振り返る。

ゆえに「たまたまの3位」と表現した。

矢崎選手はこの大会からスタンドオフにコンバートし、初めてのゲームメーカーに挑戦していた。だが度重なる怪我で、長期離脱を余儀なくされる。

実践から遠のく日々。ひたすら、リハビリに励んだ。

脚を負傷していたため、走ることができなければスクワットすらできない。だからカラビナをつけた重りを、グラウンドの周囲を引いて回った。

3か月もの間、2時間の練習中、ずっと。

雨が降ろうが、どれだけ暑かろうが。グラウンドの周りを1日3周、ひたすら引いて回った。

当時、桐蔭学園・藤原秀之監督は言っていた。「松島幸太朗化計画です

だが、当の本人は「僕自身が松島幸太朗2世だなんて微塵も思っていませんでしたよ」と笑う。

「松島さんも同じ時期に怪我をしていたらしいんです。僕がダラダラとリハビリメニューをしていたら『幸太朗は重りを引いてずっとグラウンドを回っていたぞ、それじゃ幸太朗にはなれないぞ』と言われたことを覚えています」

松島先輩にならった厳しいリハビリメニューも「やらなきゃ成長できないので」と苦に感じることはなかった。

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高3・夏。危機感

グラウンド復帰を果たしたのは、夏に入ってから。

「圧倒的に実践が足りなかったですね」。初めての『司令塔』というポジションもあり、チームにフィットしきれないもどかしさが付きまとった。

菅平での夏合宿でようやく試合を重ねられるかと思えば、予定を大幅に繰り上げて下山。

桐蔭学園は通常、夏の菅平合宿を2回に分けて行うが、コロナ禍ど真ん中世代の矢崎選手たちは、3年間1度も通常通りの合宿を完遂できなかった。

「大丈夫なのかな、っていう不安がだいぶ膨れ上がっていて。メンタル的には結構きていました」

試合に復帰できたのは、夏合宿明け。「やっと試合ができました」とその時の気持ちを語る。

夏合宿明けから、矢崎選手は桐蔭学園のバイスキャプテンに加わった。

状況を冷静に見極め、厳しい言葉を掛けられる能力。その厳しさをチームから求められた。

だが、矢崎選手がバイスキャプテンになったとてチームが劇的に変わるものでもない。

「チームに危機感を持たせること、マインドを変えることに苦労しました」

チームの調子が上がり切らない、低空飛行は続いた。

「本当は夏、菅平で全敗するぐらいの勢いでコテンパにされて、危機感をみんなに感じてもらいたかったんです。一度でも全国3位になると、どこかで『結局最後はいけるんじゃないか』という空気ができてしまって。でも、そのコテンパにされるポイントがなくなってしまった。苦労しました」

低空飛行のまま上がることなく、秋を迎えた。

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高3・秋。敗戦

2022年11月20日、日曜日。

神奈川県大会決勝で、東海大相模に13-14で敗れる。

「僕の人生で初めて、地方大会で負けました」


泣きじゃくる松田怜大キャプテンの頭をそっと抱き寄せ、涙が見えないよう頭を抱えロッカールームに向かった

その時の感情を尋ねると「どうしようかな、って」と言葉を切り出す。

「ラグビーを続ける続けない、じゃなくて。表舞台に出たくないな、って思いました、その時。僕的には」

それからのおよそ1か月、人生で初めて、ラグビーから離れた。

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