城東
前半は競った展開になる、と予想していた城東フィフティーン。
そして実際、その通りになった。
立て続けに3トライを許した直後に、奪い返した3トライ。
21-21、同点に持ち込んだ。
「ミスもあったが、前半はまだ焦らずにプレーできた」と、SO池渕紅志郎キャプテンは振り返る。
ただ、後半1分に同点とした後のプレーが続かなかった。
「いくつもあったミスやハプニングは、想定通りでした。だからずっと『がんばろう、がんばろう』『次にいこう、次いこう』と声を掛けていたのですが、最後に上がり切らなかった」と池渕キャプテンは悔しさを滲ませた。
チームを率いる伊達圭太監督も同様に、唇を噛む。
「(名護15番・宮里選手が)ブレイクダウン周りに顔を出してくるので、そこをカバーしようと準備しました。その部分はできていたと思います。でもそうしたら、その外が薄くなってしまった。裏を準備されていたな、と。ただいつもであればしっかりチェイスできるのですが、足が止まってしまったのかな。あんな簡単にズレられるとは思っていなかったですね。」
越えられない壁。
またしても、悲願の花園年越しとはならなかった。
花園2勝の景色を、後輩たちに見せることができなかった。
池渕キャプテンは、涙を零しながらバトンを繋いだ。
「後輩には1月1日の景色を見て欲しい。もっともっと練習して、もっともっと自分に厳しくなって、もっともっと楽しくラグビーをして欲しいです。」
そして、城東で過ごした3年間に思いを馳せた。
「密度の濃い3年間でした。1年生から試合に出してもらって、いろんな経験もできた。感謝しかないですし、このチームでラグビーができて良かったです。」
***
17年前の同じ日、花園2回戦の舞台で対戦していた両校。
その時に城東のキャプテンを務めていたのが、現在城東で監督を務める伊達圭太氏だ。
試合前はワクワクしていた、と話す伊達監督(写真右)
当時の名護のキャプテンは、こちらも現在の監督・田仲祐矢氏。
両キャプテンは後に大阪体育大学へと進学し、4年間をともに過ごした。
そしてこれが、キャプテンから監督へと立場を変えた2人の花園での初対戦だった。
城東・伊達監督は「監督がこんなこと言うのもあれですけど」と前置きをしたうえで、悔しさを滲ませる。
「大学の同級生でもあり、(自身にとっても高校最後のゲームとなった)思い入れの強い相手でもあり。花園の舞台で対戦できたことは、すごく有難かったです。ですがこれがスポーツかな、って。本心は、死ぬほど勝ちたかったですけど(笑)結果は結果なんで。いろんなものを頂いたので、次につなげられるようにがんばります。」
徳島県勢としておよそ60年間、花園で新年を迎えられていない。
もちろん城東にとっても、年越しは未知の世界。
「大きな壁を越える方法を模索しながら、正解を求めながら、また今年もたどりつけませんでした。教員人生、長いんで。やります。(伊達監督)」
3年生、ありがとう。
1・2年生、次取りに行こう。
感謝と新たな決意を胸に、新たな旅路へと歩み出した。
名護
「沖縄県内のラグビー人口が減少しています。だから自分たちが全国で活躍している姿を見せて、ラグビー人口を増やしていきたい」と話したのは、高校日本代表候補にも選ばれている宮里快一選手。
背番号は15番。だがフルバックとしての役割に留まらず、『ボールがある所』に顔を出し続けた。
ラックからボックスキックを蹴り上げたかと思えば、ラインアウトではジャンパーに。
キック力と、チーム最長身・182cmの身長を活かしたプレーをいくつも見せた。
「彼を15番の定位置において、試合中にボールが2回・3回しか回ってこなかったね、というのが一番残念だと思ったんです。できるだけ彼がたくさんボールを触れるように、と試行錯誤した結果がこのスタイルでした。」
そう話したのは、田仲祐矢監督。
年に一度しかない花園で、どうやったら選手が、チームが輝くかを考えた結果の起用方法だった。
ハットトリックを決め喜ぶ宮里選手
この日対戦した城東には、田仲監督にとっても特別な思い入れがあった。
17年前の同じ日、自身がキャプテンだった時に対戦した相手。そして城東の監督には、大学4年間をともに過ごした仲間がいた。
だが「それを子どもたちに背負わすことだけは絶対にしないでおこう」と決めていたという。
「僕の心の内には特別な想いがありましたが、これは生徒たちのチーム。『自分たちよりも格上であろう城東さんに、ちゃんとチャレンジしよう』と伝えて臨みました。」
17年ぶりの花園決戦。試合後は、とびきりの笑顔を見せた。