高3・冬。初めての桜
ラグビーはおろか、体を動かすことすらしなかった1か月間。
だが、次なる目標・高校日本代表入りに向け、再びグラウンドに戻ることを決意する。
「結局はやらなきゃいけない、ということは分かっていて。高校日本代表も、『受かりたい』というより『同年代のチームで落ちるのが嫌』という感情でした」
この世代では、1年次からずっと試合に出続けていたこと。名前も出し続けてもらっていたこと。
「『花園予選で負けたから高校日本代表に選ばれなかった』と言われるのか、それとも『負けたけど入っているね』と言われるのか。今後の、見てくださるファンの方々の目も変わってくると思いますし、僕自身のマインドにも関わってくるので、やっぱり落ちたくなかったです」
12月23日にスタートした”花園に出場しない選手たち”が集まったTIDユースキャンプ(高校日本代表候補合宿)は、運動不足がたたり「ギリギリの状態でやっていました」と苦笑いした。
「高校日本代表が終わった今だから言えます」と当時の状況を笑顔で打ち明ける
そうして選ばれた、高校日本代表。
「ちゃんと選ばれたい」と言っていた場に、しっかりと食い込んだ。
高校日本代表の対戦チームは、U19アイルランド代表。U20アイルランド代表はU20シックスネーションズでグランドスラムを達成したばかりであり、その僅か1カテゴリー下に位置する選手たちが相手だった。
だが、臆することなく実力を出し切れば、1勝1敗。その1敗も、僅か1点差での敗戦だった。
自身は2試合ともにフル出場。1戦目では、流れを変えるトライを決めた。
初めて袖を通した桜のジャージーは「これまでで一番楽しい時間でした」と回顧する。
自主性を尊重するコーチ陣の下、自分たちで練習や試合をコントロールしながら結果を生み出す成功体験は、新たな目標を与えた。
「世界に出たら、もっと世界を知りたくなりました」
大1・春。初先発でハットトリック
帰国後はすぐに進学先である早稲田大学へと合流した。
中学生の頃から憧れていたアカクロジャージー。大阪府の出身ではあるが、関東の高校に進学したのも、早稲田大学を見据えてのことだった。
早稲田ですぐ試合に出たい、という気持ちとは裏腹に、高校と大学のスピード差に苦戦する時間は続く。
「去年ルーキーだった(野中)健吾さん、一昨年の(佐藤)健次さんも春から出ていて、ポテンシャルを持っている選手は最初から活躍しているんだなと思って観ていました。だから『僕もそっち側に居たい』と思って。早く試合に出たいな、と思いました」
ゆえに、珍しく声を大にする。
「春は頑張りました」
初めてのアカクロは、5月14日。
関東大学春季大会 Aグループ、明治大学戦。背番号23をつけて、後半18分から登場した。
その翌週・東洋大学戦では、初先発を勝ち取る。初トライを決めるどころか、一気にハットトリックを達成した。
写真提供=早稲田大学ラグビー蹴球部
飛び級でU20へ
高校日本代表、そして早稲田大学での活躍が認められると、早速U20日本代表の候補合宿に声が掛かった。
通常は早生まれの大学3年生、そして大学2年生を中心にU20は構成されるが、唯一の飛び級プレイヤーとして大学1年生の矢崎選手にも白羽の矢が立った。
だが、メンバー入りするかどうか当落線上にいる選手の1人であることは間違いない。
「飛び級だから落ちる、1学年下だから入らない、ということを自分の言い訳にはしたくなかったです」
セレクションマッチとなった5月末のNZU戦。後半16分に出場すると、その7分後に鮮烈なファーストタッチでのトライを決めた。
人生で初めて降り立った、秩父宮の芝。緊張よりも、大勢の観客に見てもらっている喜びが勝った。
試合後は、少年たちからサイン攻めにあう。初めて書いたというサインは、慣れないがゆえ黒ペンで黒地に書き記した。
「自分のプレーが好きって言ってもらえることは嬉しいな、と思いました。多くの人に応援してもらって、自己肯定感が上がったというか。自分で納得するプレーができたことを、さらにもう一段階上の『できた』に昇華させてくれるのが、ファンの方々からの評価だな、って。それが自分の中で感じられた瞬間でした」
NZU戦での評価を確実なものとした矢崎選手は、無事、6月から7月にかけ南アフリカで行われたワールドラグビー U20チャンピオンシップ(20歳以下の選手たちによる世界最高峰の大会)の遠征メンバー30人に選ばれた。
「高校日本代表は、それまでの実績の積み重ねで選んでもらったと思っています。でもU20では、セレクションマッチで自分のパフォーマンスを発揮した結果、それを評価してもらった。結果として選ばれたことが、良かったなと思っています」